譜代大名の墓所は江戸にあることが多い。
これは転封が多いせいかもしれません。
ですが勝山藩小笠原家の墓所は、
勝山藩領にある開善寺にあり、
初代より歴代藩主の墓が並んでいます。
「開善寺」。
開善寺は勝山藩主小笠原家の菩提寺で、
小笠原貞信が高須藩から移ったことに伴い、
同寺も勝山城下に移ってきました。
「本堂」。
荒れ果てている・・とまではいきませんが、
手入れは行き届いてはいない様子の本堂。
藩主菩提寺は藩政時代に隆盛を見ますが、
明治に入って藩主の庇護が無くなり、
廃れてしまうケースが多いようです。
この本堂裏手が小笠原家の墓所。
「小笠原家墓所」。
正面一列に歴代藩主の墓が並んでいます。
墓碑に刻まれた文字は破損していますが、
豪雪地帯ですので雪による影響でしょう。
「真光院殿鉄梁一玄大居士」。
初代藩主小笠原貞信の墓。
関宿藩、高須藩、そして越前勝山藩と、
転封を繰り返して小笠原家の財政は困窮。
これに年貢の増徴で補おうとしますが、
勝山の領民の反発を招きました。
信頼関係も築けていない領民に対して、
年貢を増徴してはいけませんね。
「心源院殿大巌義秀大居士」。
幕末の藩主8代小笠原長守の墓。
御多分に漏れず越前勝山藩も財政難で、
家老林毛川が藩政を取り仕切っており、
数々の財政改革を行っています。
倹約令や特産品専売化で効果を挙げますが、
安政地震や幕府普請で短期間に財政は悪化。
林の罷免を求める声が大きくなった為、
林を罷免して以降は藩政に携わりました。
新政府の樹立にはいち早く恭順の意を示し、
弾薬2万発を献上しています。
勝山市は隣の大野市と共に豪雪地域で、
冬には相当の雪が降るらしい。
墓石は雪が降ると内部の水分が固まって、
破損しやすくなるのだそうで、
墓石が雪で痛むだなんて、
史跡訪問を始めてから知った事。
ここの墓石も破損が酷く、
戒名が読めないものが多くありました。
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