徳川幕府の本拠関八州の直轄領の行政は、
関東郡代によって治められていましたが、
江戸後期に関東郡代は廃止され、
関八州見廻役や関東取締出役が置かれます。
しかし幕末の不穏な動きに対応できず、
天狗党の乱で関東地方が乱れた為、
同年に再び関東郡代が設置されています。
後に郡代に代わり関東在方掛が設置され、
上野国群馬郡に岩鼻代官所が置かれ、
上野国、下野国・武蔵国及び、
足尾銅山を支配しました。
同じく下総国相馬郡に布佐代官所が置かれ、
常陸国、下総国、上総国、安房国を支配。
この関東在方掛は郡代より職権が強化され、
旗本知行地でも同等権限があったという。
仕事終わりの夕方。
日は沈みかけていましたが、
どうにか日没前に到着する事が出来ました。
「気象台記念公園」。
布佐代官所の陣屋跡は、
現在気象台記念公園となっています。
幕府崩壊後は熊本藩兵によって接収され、
近隣の治安維持の拠点になりました。
明治以降の使用方法はよくわかりませんが、
昭和13年から平成11年まで、
布佐気象送信所が設置されたようで、
公園名はその事から名付けられています。
ちなみに、この布佐気象送信所には、
作家の新田次郎も務めていたらしい。
「アメダス」。
気象台は撤去されましたが、
代わりに公園内にアメダスが設置され、
気象観測は続けられているようです。
公園内は結構広い。
土塀が残っているらしいのですが、
どれがそうなのかさっぱりわからない。
代官所陣屋の敷地はこの公園から、
平和台病院のあたりまでだったようで、
時間的に探している暇はありませんでした。
気象台記念公園もいいですが、
天領陣屋があったという碑が欲しいところ。
何も無い所にこそそういうものが、
必要なんじゃないかと思いますね。
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