黒崎湊は福岡藩の領有していた港で、
大坂への貨客船が発着していました。
江戸期の九州からの上方への発着口は、
小倉城下の小倉湊と黒崎湊しかなく、
九州諸藩は参勤交代で海路を使う際は、
小倉湊かこの黒崎湊を使用したようです。
「… 続きを読む
「【史跡訪問】」カテゴリーアーカイブ
大分県速見郡 西崦精舎跡
西崦精舎は帆足萬里が開いた私塾で、
天保13年(1842)から約8年、
多くの門人達を指導した場所です。
また自身の学究や著作活動を行い、
「入学新論」や「東潜夫論」を著作しました。
「西崦精舎跡」。
西崦精舎があった場所は整地され、
当時の建物は既に失われていますが、
基礎や生活の痕跡は埋蔵されたままとのこと。… 続きを読む
大分県杵築市 山田墓地/羽柴家墓所
立石領主木下家11代木下俊清の墓が、
山田墓地という場所にあるとのことで、
その情報を頼りに行ってみましたが、
どこを探しても見つかりませんでした。
仕方なく後日杵築市教育委員会に連絡し、
本当に墓所があるのかを訪ねると、
山田墓地の最奥にあるとのこと。
そういう訳で再訪しましたが、
最奥らしき場所には何もない・・。
その奥は道が無かったのですが、
あきらめず道なき道… 続きを読む
山口県山口市 吉岡一味齋遭難之地
桂小五郎の「記事」を読んでいると、
「拝吉岡一味齋墓、賽銭而過」とあり、
山口宿から宮市宿の街道を歩いた際に、
吉岡一味斎という人物の墓に参拝し、
賽銭をしたと記されています。
調べると吉岡一味斎は戦国期の剣術家で、
娘を嫁に欲しいと言って断れた同僚に、
逆恨みで… 続きを読む
山口県山口市 豆子郎総本店茶藏唵
「ひ~とつ、ふ~たつ、み~つけた~、
豆子郎さんとぉりゃんせ~♪」。
山口県民なら馴染みの豆子郎のCMソング。
長年に渡って県下のCMで流されており、
そのフレーズを知らない県民はいないとか。
豆子郎は県下で抜群の知名度の和菓子ですが、
その商品は直営店でしか販売しておらず、
百貨店、土産物店では売っていません。
僕の住む下関市には豆子郎は一店舗も無く、… 続きを読む
山口県山口市 御堀堂本店
山口名物といえば「外郎」が知られますが、
名古屋ういろうや阿波ういろと違い、
米粉の代わりにわらび粉を使用します。
これによってプルプルの弾力と、
モチモチの食感が味わえるのか特徴。
和菓子を余り知らなかった僕でも、
昔から山口の外郎は大好きでした。
山口で室町時代より作られたとされますが、
一応その… 続きを読む
山口県山口市 山陰堂本店
山口市の銘菓のひとつ「銘菓舌鼓」。
製造販売する山陰堂の初代竹原弥太郎は、
代々津和野藩の士分(食客?)だったとされ、
維新後に医業を志して大坂で修行しますが、
断念して和菓子製造を始めたという。… 続きを読む
