NTT西日本指宿電話交換所の南西隅に、
8代目濱崎太平次の誕生地碑があります。
太平次は薩摩藩の財政を支えたともされ、
全国に支店を持っていた豪商で、
江戸期の実業界三傑とも称されていました。
「浜崎太平次翁生誕の地」碑。
NTTの敷地内に建てられた碑。
濱崎家の本宅があった場所であり、
その広さは2反半(2480m2)もあったという。
薩摩藩主が… 続きを読む
鹿児島県指宿市 濱崎家屋敷跡
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NTT西日本指宿電話交換所の南西隅に、
8代目濱崎太平次の誕生地碑があります。
太平次は薩摩藩の財政を支えたともされ、
全国に支店を持っていた豪商で、
江戸期の実業界三傑とも称されていました。
「浜崎太平次翁生誕の地」碑。
NTTの敷地内に建てられた碑。
濱崎家の本宅があった場所であり、
その広さは2反半(2480m2)もあったという。
薩摩藩主が… 続きを読む
濱崎家は代々海運業を営んだ商家で、
指宿を拠点に[ヤマキ]の屋号で商いを行い、
5代目の濱崎太左衛門の頃には、
全国長者番付に載る程に隆盛を誇りました。
7代目濱崎太平次の頃には家業が傾き、
唐芋を拾って飢えを凌いでいたようですが、
8代目濱崎太平次正房が家業を継ぐと、… 続きを読む
指宿麓は薩摩半島南部にあった小規模の外城。
延享元年(1744)に今和泉郷が新設され、
その管轄地が少なくなっており、
江戸末期には西方村の一部、東方村、十町村、
十二町村がその範囲となっています。
「… 続きを読む
喜入旧麓にある喜入肝付家の菩提寺玉繁寺跡。
元々は加治木にあったようですが、
肝付家の移封に伴って移転しています。
「喜入肝付家墓所」。
玉繁寺跡にある喜入肝付家の墓所。
県内他寺と同様に廃仏毀釈で廃寺となり、
喜入肝付家の墓所のみが残されました。
「〇〇了源居士… 続きを読む
喜入郷は喜入肝付家の私領だった地で、
石高は3625石であったという。
※肝付家は他に河辺郡内に領地があり、
合計5500石で一所持の家格。
肝付宗家は再三島津家と争っていますが、
諸流である家祖の肝付兼光は島津家に従い、
以後は代々重臣として活躍。
文禄4年(1596)に肝付兼三が入って以降、… 続きを読む
谷山麓は城下から10km南にある外城。
周辺は郡司谷山氏の領地でしたが、
南北朝時代に島津家の領地となり、
以後は直轄地となっていました。
江戸時代には地頭仮屋が置かれており、
その周辺に麓集落が形成されています。
「谷山地頭仮屋跡(谷山小学校)」。… 続きを読む
南洲寺は南林寺町の臨済宗相国寺派寺院。
廃寺となった南林寺跡に開かれ、
寺名は西郷隆盛の号から取られており、
彼を勧請開基としています。
「南洲寺」。
大本山相国寺の鹿児島仮出張布教所… 続きを読む