南洲墓地にある河野主一郎の墓。
「河野直政墓」。
五番大隊一番小隊長河野主一郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
河野は鹿児島城下高麗町の出身で、
戊辰戦争に従軍して戦功を挙げ、
戦後は近衛陸軍大尉となった人物。
西郷隆盛の下野に伴い職を辞しており、
私学校の創設にも関与しています。
西南戦争では五番大隊一番小隊長となり、
熊本城攻撃、田原坂の戦い、城東会戦等、
主要な戦いで奮戦。
可愛岳突囲では辺見十郎太と先鋒を務め、
西郷に従い城山を占領しました。
明治10年9月20日には、
山野田一輔と共に軍使として下山し、
西郷の助命を嘆願していますが、
山野田のみ帰されて捕虜となっています。
戦後に懲役10年の判決に処されますが、
明治14年に釈放されており、
薩軍の残党と共に三州社を設立。
人材育成の教育機関の他、
九州各地に散らばる西南戦争の戦死者を、
南洲墓地に改葬しており、
自由民権運動にも参加しました。
後に台湾に渡り澎湖列島行政庁に勤務し、
台北県宜蘭支庁長に就任。
帰国後は青森県知事を務め、
晩年は霧島神宮宮司となりました。
大正11年に死去し、
南洲墓地に埋葬されています。
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