南洲墓地にある桂久武の墓。
「桂久武墓」。
大小荷駄隊本部長桂久武の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
日置島津家12代島津久風の五男で、
一所持桂家15代桂久徴の養子となり、
家督を継いで要職に就いていますが、
実兄島津久徴の罷免に連座して左遷。
大島守衛方となった際に、
流刑中の西郷隆盛と親交し始めたという。
後に復帰して藩政に関与しており、
文久3年の都城領内の誠忠派弾圧では、
精忠派の謹慎、遠島等の処分を、
訴えにより取り消しとしています。
その後は小松帯刀らと藩論を統一させ、
薩長同盟の締結に尽力しており、
維新後は鹿児島藩権大参事に就任。
明治4年には都城県参事となり、
人材育成、産業振興に取り組んでおり、
明治6年の都城県廃止に伴い、
豊岡県令就任を打診されますが、
健康上の理由でこれを辞退しています。
その後は霧島で鉱山開発に従事し、
私学校党にも属しておらず、
西郷が大軍を率いて上京する際も、
参加するつもりはなかったようですが、
見送りに出かけた際に参加を決意。
家人に使いを出して家伝の帯刀大小と、
愛用の黒藤の強弓を届けさせ、
薩軍の輜重の責任者となります。
以後は兵糧、弾薬等の輸送を担当し、
補給の為に鹿児島に数度戻っており、
薩軍が存分に戦えるよう尽くしました。
踊郷で政府軍と交戦した際は、
弓矢で敵兵を射倒しており、
これが弓矢を実戦で使った最後という。
西郷に城山まで付き従っており、
最後の進撃の際に戦死しています。
「桂久暠墓」。
久武の長男桂久暠の墓。
父と共に従軍したようですが、
彼も城山で戦死しました。
墓は久武の墓の真後にあります。
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