鹿児島県鹿児島市 南洲墓地/別府晋介墓

南洲墓地にある別府晋介の墓。


別府景長墓」。
独立(六番/七番)大隊指揮長別府晋介の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士別府十郎の次男として生まれ、
従兄の中村半次郎(桐野利秋)とは、
兄弟以上に仲が良かったという。
戊辰戦争では城下四番小隊に所属し、
白河棚倉二本松を経て、
会津戦争にも参加しています。
廃藩置県後は陸軍大尉に任じられ、
明治5年には朝鮮偵察に赴き、
韓服韓帽朝鮮人に変装。
2ヶ月の偵察の後に帰国しており、
復帰後は陸軍少佐に昇進しています。
西郷が下野すると呼応して退職し、
私学校の設立に関与。
明治10年に西郷刺殺計画が疑われ、
大評議で前後策が議論されると、
独自に兵を募って独立大隊を組織し、
その指揮長に就任しました。
熊本城攻撃では背面攻撃を担当し、
政府軍が上陸するとこれを挟撃。
戦死者が相次いだ為に鹿児島に戻り、
新たに1500名を募兵しています。
萩原堤の戦いで足を負傷し、
温泉治療をしながら転戦しており、
山駕籠に乗って移動していたという。
城山での最後の進撃の際は、
銃撃で負傷した西郷を介錯し、
首級を従僕吉左衛門に持ち去らせ、
その後も戦って銃撃の雨の中で、
自決して果てています。

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