南洲墓地にある小池四郎の墓。
「池上貞固墓」。
五番大隊指揮長池上四郎の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
侍医池上貞斎の長男に生まれますが、
家業を好まず尊攘思想に惹かれ、
西郷隆盛や伊地知正治の知遇を得て、
尊皇攘夷運動に参加します。
薩英戦争ではスイカ売りに扮し、
英国船に斬り込もうとするも失敗。
鳥羽伏見では城下十番小隊に所属し、
その後は伊地知正治の配下となり、
以後は白河、二本松、会津と転戦。
廃藩置県後は陸軍に出仕し、
陸軍少佐となりますがすぐに退職し、
外務省に出仕して満洲に派遣されます。
明治6年に西郷が下野すると帰国し、
職を辞して鹿児島に帰郷。
私学校設立には消極的で参加せず、
彼らの不体裁を嫌いましたが、
西郷刺殺計画には憤慨しており、
大軍を率いた上京に賛成し、
その募兵を担当しました。
部隊編成では五番大隊指揮長となり、
熊本城の攻撃に参加。
池上は熊本城全軍攻撃には反対し、
抑えの残しての北上を主張しますが、
これは退けられたとされます。
政府軍の到着により迎撃態勢となると、
熊本城攻撃は池上が担当。
その後は人吉、三井田、宮崎と転戦し、
解兵後も西郷に従って城山を占拠して、
西郷の死を見届けた後も戦い、
銃撃の雨の中で自刃しています。
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