新発田城は新発田氏によって築城され、
代々新発田家の居城となっていましたが、
新発田重家が上杉景勝に反旗を翻した為、
景勝に攻められて落城しています。
後に上杉家が会津に移封されて、
溝口秀勝が6万石で新発田に入封。
新発田城は近世城郭として再建され、
3代溝口宣直の頃に完成したという。
「… 続きを読む
新潟県新発田市 新発田城
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新発田城は新発田氏によって築城され、
代々新発田家の居城となっていましたが、
新発田重家が上杉景勝に反旗を翻した為、
景勝に攻められて落城しています。
後に上杉家が会津に移封されて、
溝口秀勝が6万石で新発田に入封。
新発田城は近世城郭として再建され、
3代溝口宣直の頃に完成したという。
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甲府藩であった柳沢宗家が、
2代柳沢吉里の頃に郡山へ移封され、
2つあった新田藩も三日市、黒川に移封。
そのひとつが三日市藩でした。
三日市藩は… 続きを読む
甲府藩柳沢家が郡山へ移封された際、
その支藩であった2つの新田藩も、
黒川、三日市へ移封しました。
黒川藩の初代藩主柳沢経隆は、
藩の支配体制を固めるため、
三十四条にも及ぶ法度を制定していますが、
経隆はその翌年の享保10年に死去。
領地は… 続きを読む
村上藩の藩庁である村上城は、
上杉家家臣本庄繁長の居城でしたが、
上杉家の会津転封で繁長は守山城へ移り、
代わって村上頼勝が城主となり、
城の大規模な改修が行われます。
築城当初は本庄城と呼ばれていましたが、
頼勝による近世城郭への改築工事によって、
村上城と呼ばれるようになり、… 続きを読む