甲府藩であった柳沢宗家が、
2代柳沢吉里の頃に郡山へ移封され、
2つあった新田藩も三日市、黒川に移封。
そのひとつが三日市藩でした。
三日市藩は定府大名であった為、
三日市に建設された陣屋も、
簡素なものであったようです。
「新発田市立七葉中学校」。
陣屋跡は七葉中学校の敷地ですが、
残念ながら遺構はおろか跡碑もありません。
当初の三日市藩の陣屋は、
加治川沿いの三日市に建てられましたが、
川の氾濫を避けて館村に移転したようです。
つまりここは正確には三日市陣屋ではなく、
館村陣屋ということになりますが、
公称は三日市のままでした。
定府大名なのでどうでも良かったのかも?
三日市藩柳沢家は江戸に在住し、
幕末まで御国入りがありませんでしたが、
慶応4年に8代柳沢徳忠が初の御国入り。
しかし直後に列藩同盟への加入を迫られ、
周辺諸藩と共に加入しますが、
小藩故に目立った行動は取っておらず、
新発田藩の降伏を受けて新政府軍に降伏。
新政府軍に出陣を求められますが、
派兵出来たのは僅か7名だったようで、
独立した部隊となる事は出来ず、
新発田藩の部隊に組み込まれたようです。
【三日市藩】
藩庁:三日市陣屋
藩主家:時睦流柳沢家
分類:1万石、譜代大名(郡山藩支藩、定府)
■関連記事■
・奈良県大和郡山市 郡山城跡
郡山藩柳沢宗家の居城跡。
・ 新潟県胎内市 黒川陣屋跡
同族の黒川藩柳沢家の陣屋跡。
・ 新潟県新発田市 新発田城
近隣の新発田藩溝口家の居城跡。