吉田麓は薩摩藩直轄の外城。
元々は豪族吉田氏の領地でしたが、
後に島津家の所領となりました。
吉田は大隅国西部への足掛かりとして、
蒲生氏との戦いの侵攻拠点として機能。
後に島津歳久の所領となっており、
天正8年(1580)以降は直轄地となりました。
「吉田御仮屋跡(吉田小学校跡)」。… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 吉田地頭仮屋跡
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吉田麓は薩摩藩直轄の外城。
元々は豪族吉田氏の領地でしたが、
後に島津家の所領となりました。
吉田は大隅国西部への足掛かりとして、
蒲生氏との戦いの侵攻拠点として機能。
後に島津歳久の所領となっており、
天正8年(1580)以降は直轄地となりました。
「吉田御仮屋跡(吉田小学校跡)」。… 続きを読む
蒲生麓は薩摩藩直轄の外城で、
鹿児島城下から五里半の位置にありました。
別府川と蒲生川の間に麓集落が形成され、
現在も景観をよく残しています。
江戸中期に形成された比較的新しい麓で、
それ故に機能的な町割りとなっている模様。
「蒲生地頭仮屋跡」。
蒲生地頭仮屋跡は… 続きを読む
帖佐は島津義弘の居館があった地で、
豊臣秀吉の太閤検地後に義弘に与えられ、
その居館(御屋地)が建てられました。
後に義弘は平松城(後の重富御仮屋)に移住し、
その居館を長女の千鶴に与えた為、
千鶴は[… 続きを読む
国分は大隅国府が置かれた地で、
軍事や交通でも要所であった為、
幾度も豪族が争った場所でした。
慶長9年(1604)には隠居した島津義久が、
舞鶴城を築城して富隈城から移住。
京都を参考に… 続きを読む
福山は日向や大隅と鹿児島城下の中継地で、
流通の要所として栄えた場所。
平地の下場と台地の上場に地形が分かれ、
下場は米の集積地として蔵が立並び、
上場は… 続きを読む
鹿屋は薩摩藩の直轄地だった地で、
その管轄地を支配する為に地頭が派遣され、
地頭仮屋が鹿屋城東麓に置かれました。
「鹿屋地頭仮屋跡(かのやイベント駐車場)」。
地頭仮屋が置かれた駐車場となっている辺り。
残念ながら遺構は全くありません。
比較的低地… 続きを読む
大崎は志布志と高山の中間地点にあり、
北郷氏、新納氏、肝付氏が奪い合った地。
最終的に島津家が肝付氏を降伏させ、
大崎は島津家の所領となっており、
比志島国守が初代地頭として赴任しました。… 続きを読む