串良麓はかつては串良院と呼ばれ、
島津家と肝付家が争っていた場所。
天正4年(1576)に島津家の領地となると、
島津忠長(宮之城家2代)に与えられました。
慶長4年(1599)には直轄地へと変わり、
藩は地頭を派遣して地頭仮屋を建設。
天明4年(1784)には困窮した甑島の郷士が、… 続きを読む
鹿児島県串良市 串良地頭仮屋跡
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串良麓はかつては串良院と呼ばれ、
島津家と肝付家が争っていた場所。
天正4年(1576)に島津家の領地となると、
島津忠長(宮之城家2代)に与えられました。
慶長4年(1599)には直轄地へと変わり、
藩は地頭を派遣して地頭仮屋を建設。
天明4年(1784)には困窮した甑島の郷士が、… 続きを読む
志布志麓は大規模な薩摩藩の外城。
その地頭仮屋が志布志御仮屋です。
藩より地頭が派遣されて行政を担い、
高鍋藩との藩境に位置していた為、
特に重要な拠点であったようで、
藩内で大之郷に位置付けられていました。… 続きを読む
栗野麓は室町時代に北原氏が治めた地で、
戦国時代に島津家がこれを奪い、
島津義弘が松尾城(粟野城)を拠点とし、
伊東義祐と戦って勝利しています。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、… 続きを読む
馬越麓は菱刈家が治めていた地で、
馬越城の城下町であった場所。
永禄10年(1567)に島津家により攻略され、
永禄12年(1569)に島津家の領地となります。
江戸時代は薩摩藩の直轄地となり、
地頭仮屋が置かれて麓が形成され、
中央より地頭が派遣されました。
「… 続きを読む
大口麓は薩摩国北端にある外城で、
肥後国との国境近くにあります。
戦国時代には新納忠元が地頭と務め、
国境の備えとして睨みを利かしており、
江戸時代は薩摩藩の直轄領となって、
地頭が詰める地頭仮屋が設置されました。
「… 続きを読む
伊集院は薩摩半島の交通の要所で、
室町時代より数度の戦いが行われました。
周辺は伊集院家の支配下にありましたが、
江戸時代には島津家の直轄地となり、
伊集院麓が形成され地頭を派遣。
政務を行う地頭仮屋が置かれています。… 続きを読む
市来は薩摩半島の北西部に位置し、
縄文時代より人が住み付いていたようで、
多くの貝塚が発見されており、
市来式土器等が出土しています。
平安時代には市来院が置かれており、
市来氏や惟宗氏が郡司… 続きを読む