垂水島津家は御一門家の家格を有し、
大隅郡垂水1万8000石を領した家。
その行政を担う御仮屋は林之城と呼ばれ、
周辺に麓集落が形成されていました。
垂水島津家の初代は島津忠将で、
肝付家との戦いで戦死しています。
家督を継いだ島津以久が垂水に入り、
垂水島津家となっていますが、
以久は関ヶ原の戦い… 続きを読む
鹿児島県垂水市 垂水御仮屋跡
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垂水島津家は御一門家の家格を有し、
大隅郡垂水1万8000石を領した家。
その行政を担う御仮屋は林之城と呼ばれ、
周辺に麓集落が形成されていました。
垂水島津家の初代は島津忠将で、
肝付家との戦いで戦死しています。
家督を継いだ島津以久が垂水に入り、
垂水島津家となっていますが、
以久は関ヶ原の戦い… 続きを読む
鹿屋は薩摩藩の直轄地だった地で、
その管轄地を支配する為に地頭が派遣され、
地頭仮屋が鹿屋城東麓に置かれました。
「鹿屋地頭仮屋跡(かのやイベント駐車場)」。
地頭仮屋が置かれた駐車場となっている辺り。
残念ながら遺構は全くありません。
比較的低地… 続きを読む
新城は垂水島津家4代島津久信の母が、
化粧料とし所持していた地。
地名から新城殿と呼ばれていたようで、
彼女は孫の島津久章にこれを譲り、
久章の室の化粧料と合わせて4700石で、
久章に新城島津家を興させています。
しかし久章は藩主名代の不首尾で謹慎し、
後に乱闘で斬り殺されました。… 続きを読む
享保9年(1724)に薩摩藩3代藩主島津綱貴は、
三男島津久儔に大姶良郷より6000石を与え、
花岡島津家を創設。
久儔は木谷村と野里村で花岡郷を新設し、
木谷城跡… 続きを読む
大崎は志布志と高山の中間地点にあり、
北郷氏、新納氏、肝付氏が奪い合った地。
最終的に島津家が肝付氏を降伏させ、
大崎は島津家の所領となっており、
比志島国守が初代地頭として赴任しました。… 続きを読む
串良麓はかつては串良院と呼ばれ、
島津家と肝付家が争っていた場所。
天正4年(1576)に島津家の領地となると、
島津忠長(宮之城家2代)に与えられました。
慶長4年(1599)には直轄地へと変わり、
藩は地頭を派遣して地頭仮屋を建設。
天明4年(1784)には困窮した甑島の郷士が、… 続きを読む
志布志麓は大規模な薩摩藩の外城。
その地頭仮屋が志布志御仮屋です。
藩より地頭が派遣されて行政を担い、
高鍋藩との藩境に位置していた為、
特に重要な拠点であったようで、
藩内で大之郷に位置付けられていました。… 続きを読む