奥の院墓地にある薩摩藩島津家墓所③。
薩摩藩島津家の墓所は複数あり、
3~7代藩主墓所を島津家墓所①とし、
初~2代藩主墓所は島津家墓所②としましたが、
こちらの墓所には17代当主島津義弘や、
8、10代藩主の墓所があります。
「薩摩藩島津家墓所」。
この墓所は比較的広い敷地ですが、
島津家墓所の中では一番古いと思われます。… 続きを読む
「島津家」タグアーカイブ
高野山奥の院墓地/薩摩藩島津家墓所②
奥の院墓地にある薩摩藩島津家墓所②。
薩摩藩島津家の墓所は複数あり、
3~7代藩主は既に紹介していますので、
こちらの墓所は②とします。
ここにあるのは初代及び2代藩主。
「寛陽院殿泰雲慈温大居士(左)」、
「慈眼院殿華心琴月大居士尊儀(中央)」、
「泰清院殿關山良無大居士(右)」。
2代藩主(19代当主)島津光久の墓、… 続きを読む
岐阜県大垣市 島津豊久墓所
関ヶ原の戦いで島津義弘率いる島津勢は、
敵軍の中央を突破する事を決意し、
捨て奸の戦法を用いて戦戦を離脱しました。
しかし約300名程残っていた兵数は、
最終的に義弘以下80余まで減ったとされ、
総大将の義弘を逃がす為に、
将兵は死ぬまで戦ったとされます。
義弘の甥である島津豊久も殿軍を務め、
自らも踏み留まって奮戦。
瀕死の重傷を負いながらも義弘を追い、… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 島津家常安墓所
島津宗家の墓所は福昌寺跡にあり、
6代から28代までの当主の墓があります。
しかし29代当主島津忠義(12代藩主)は、
裏山の常安峰に墓所が営まれており、
以降の宗家の墓所となりました。
「島津家常安墓所」。
残念ながら非公開で門前のみ。
昔は入れたようなのですが、
何年か前に立ち入れなくなった模様。
閉じられた門から覗きますが、
墓所は全く見えません。… 続きを読む
鹿児島県鹿児島市 津友寺跡/島津忠治墓跡
島津宗家12代当主島津忠治は、
吉田城主吉田位清との戦いの陣中で病死。
佐多浦の津友寺に埋葬されました。
津友寺は廃仏毀釈により廃寺。
跡地に参道や墓地が残っています。
「津友寺跡」。
入口には西南戦争の招魂碑がありましたが、… 続きを読む
鹿児島県姶良市 総禅寺跡
総禅寺は豊州島津家の菩提寺だった寺で、
文明年間(1469-1486)に島津季久が創建。
廃仏毀釈で廃寺となっていますが、
その墓地のみが残されています。
「招魂塔」。
明治12年に建立された招魂碑で、
西南戦争の帖佐出身戦死者のもの。
総禅寺墓地の入口に聳えており、… 続きを読む
鹿児島県霧島市 龍護院金剛寺跡
慶長9年(1604)に隠居した島津義久は、
祈願所として龍護院金剛寺を建立。
寺名は義久の号である龍伯に因み、
大乗院の末寺に属していたという。
「龍護院金剛寺跡」。
廃仏毀釈によって廃寺となっていますが、
跡地には島津義久の三重石塔の他に、
多くの… 続きを読む
