青山霊園にある福岡藩黒田家の墓所。
歴代藩主の墓は領地の福岡にありましたが、
廃藩置県後に黒田家は東京に移住しており、
11代黒田長溥より青山霊園が、
黒田家の墓所となりました。
「従二位勲三等黒田長溥之墓」。
福岡藩11代藩主黒田長溥の墓。
薩摩藩… 続きを読む
東京都港区 青山霊園/福岡藩黒田家墓所
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青山霊園にある福岡藩黒田家の墓所。
歴代藩主の墓は領地の福岡にありましたが、
廃藩置県後に黒田家は東京に移住しており、
11代黒田長溥より青山霊園が、
黒田家の墓所となりました。
「従二位勲三等黒田長溥之墓」。
福岡藩11代藩主黒田長溥の墓。
薩摩藩… 続きを読む
祥雲寺は元々黒田長政の菩提を弔う為、
福岡藩2代藩主黒田忠之が建立した寺院。
その長政の墓碑は墓地唯一の御霊屋付です。
「黒田長政墓所」。
5m程の高さのある御霊屋の覆われた墓碑。
元々祥雲寺は興雲寺と称しており、
長政の戒名に由来していたようです。
「… 続きを読む
祥雲寺は黒田家ゆかりの寺院。
福岡藩初代黒田長政の墓所がある他、
支藩秋月藩黒田家の歴代墓所があります。
「秋月藩黒田家墓所」。
墓地中央付近に位置する墓所。
初代から11代までの藩主と奥方の墓が、
所狭しと並んでいます。
秋月藩黒田家の墓所は他にも、
所領秋月… 続きを読む
大隈宿は秋月街道の宿場町で、
小倉藩領との国境付近に位置しました。
江戸時代初期の福岡藩では、
国境付近の益富城を後藤又兵衛基次や、
母里太兵衛友信等の豪傑に守らせており、
その警戒具合が伺えます。
大隈宿はその益富城の城下町でしたが、
益富城の廃城に伴い宿場町と変化し、… 続きを読む
長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間には、
小倉側からの最初の難所石坂の急坂があり、
諸大名も駕籠を降りて登ったという。
現在は開発で地形が変わっていますが、
小嶺IC付近から山を登り、
その頂上からアケ坂という急坂を下り、
中の谷… 続きを読む
長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間には、
小倉側からの最初の難所である石坂があり、
諸大名も駕籠を降りて登った急坂の頂上に、
休憩所(立場茶屋)がありました。
この休憩所は銀杏屋と呼ばれ、… 続きを読む
原町宿は唐津街道の間の宿。
原町は江戸時代初期には町はなく、
街道から少し離れた西側に光岡村、
東側に野坂村があったようで、
両村から少しづつ街道沿いに家屋を建てて、
やがて町を形成していったようです。
宿場に見られるような問屋場はなく、… 続きを読む