小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸に定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の… 続きを読む
「小笠原家」タグアーカイブ
佐賀県唐津市 近松寺/唐津藩小笠原家墓所
近松寺は鎌倉時代の創建とされ、
戦国時代に波多守親が再興していましたが、
兵火で伽羅を焼かれた後に、
唐津に入封した寺沢広高が再び再興し、
寺沢家の菩提寺となりました。
しかし次代寺沢堅高が島原の乱の責で自害。
寺沢家は断絶した為に寺運が衰退します。… 続きを読む
兵庫県姫路市 法性寺/安志藩小笠原家墓所
安志藩小笠原家の領内菩提寺は法性寺。
小笠原長興が安志藩に入った際に建立され、
小笠原家の庇護を受けて隆盛しました。
廃藩後は規模を縮小しています。
「法性寺本堂」。
本尊は木造薬師如来座像。
堂内に藩主一族の位牌が安置されており、
老朽化の為にSRC製となっています。
歴代藩主のうち領内で死去したのは、
2代… 続きを読む
兵庫県姫路市 安志陣屋跡
小笠原宗家当主であった小笠原秀政と、
その長男である小笠原忠脩は、
大坂夏の陣の天王寺の戦いで壮絶に戦死。
忠脩の遺児小笠原長次が幼少であった為、
家督は秀政の次男小笠原忠真が相続します。
長次は忠真の許で養育された後、
別家に興されて龍野藩6万石に封ぜられ、… 続きを読む
福岡県田川郡 碧巌寺/小笠原忠幹仮埋葬地
小笠原忠幹は小倉戦争直前で病死。
有事ということでその死は伏せられ、
忠幹の遺骸は密かに城内に埋められました。
後に熊本藩らの撤兵で孤立した小倉藩は、
小倉城を自焼させて城下から田川まで撤退。
香春を仮藩庁としました。
未だ長州藩と交戦状態にある小倉藩は、
落城した小倉城より忠幹の遺骸を掘り返し、
安全な場所への埋葬を計画。… 続きを読む
福岡県北九州市 開善寺/小笠原眞方墓所
開善寺に小笠原貞宗が信濃に中興した寺で、
鎌倉時代後期に四条頼基が創建したもの。
後に府中小笠原宗家が小倉藩に入封すると、
信濃の開善寺と同名の寺を創建。
以後は重臣達の菩提寺として城下で栄え、
小倉戦争では小笠原長行… 続きを読む
福井県勝山市 開善寺/勝山藩主小笠原家墓所
譜代大名の墓所は江戸にあることが多い。
これは転封が多いせいかもしれません。
ですが勝山藩小笠原家の墓所は、
勝山藩領にある開善寺にあり、
初代より歴代藩主の墓が並んでいます。
「開善寺」。
開善寺は勝山藩主小笠原家の菩提寺で、
小笠原貞信が高須藩から移ったことに伴い、… 続きを読む