小笠原真方は寛文7年(1667)に、
小倉藩2代小笠原忠雄の家督相続の際、
1万石を内分分知されて諸侯に列しました。
新田藩であった為に特定の領地を持たず、
藩主は江戸に定府していたようですが、
初期の藩主は小倉へ戻っていたようです。
※3代までの墓所は小倉の開禅寺。
小倉新田藩小笠原家の歴代墓所は、
宗家と同じく浅草の海禅寺にありましたが、
関東大震災の被害により墓所は壊滅。
この為に墓所は整理されており、
大正15年に千束に改葬されました。
「千束丸山墓地」。
千束にある共同墓地。
小倉新田藩は維新後に千束周辺を領地とし、
千束藩となっていますが、
始めは光林寺を仮藩庁としました。
明治2年に千束陣屋を構えていますが、
間もなく廃藩置県で藩は消滅。
後に上記のように震災で墓所は破壊され、
東京市より墓所の整理を命じられた為、
旧領の千束に墓所を移転したようです。
「小笠原家墓所」。
墓地の南端が小笠原家の墓所。
歴代藩主及び一族の合葬墓と、
明治以降の一族の墓が並んでいます。
「小笠原家歴代奥城」。
千束藩小笠原家の合葬墓。
コンクリートに銅板がはめられたもので、
海禅寺に葬られた4代小笠原貞温から、
8代小笠原貞寧までの歴代藩主及び眷族と、
9代小笠原貞正の墓のようです。
※小倉藩主となった7代小笠原貞嘉を除く。
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