三原屋で殺されたのは、小目付の鈴木八五郎、
中根の従者長谷川勇助、須原栄の三名。
三名の事は長く忘れられていましたが、
昭和3年に墓標が栄山の麓に建てられました。
小郡郵便局横の道を西に入り少し進むと、
「栄山自然観察の森案内図」の看板が見えてきます。
案内図を見ると、お目当ての三原屋殉難士墓はすぐそこ。
あれ?「禁門の変の墓」ってなんだ??
気になるからそっちを先に行ってみます。
で、行ってみると、説明板が・・。
「元招魂社 維新諸隊士の墓」との事。
招魂社じゃん!これは行かねば!
草ボーボーの先に鳥居が見える・・・。
少し登ると招魂社っぽい感じの場所が見えてきました。
鳥居をくぐった先の両脇に招魂墓が並んでいます。
中央に社殿があったと思われますが、
説明板に書いてあるように移転されたようですね。
現在の栄山神社がそれだとの事です。
当時ここは「山手招魂場」と呼ばれていました。
三原屋殉事件殉難士の墓を探しに来たのですが、
思わぬ招魂社参りが出来ました。
さて、本命の三原屋殉事件難士の墓です。
「三原屋殉難士之墓」。
なかなか立派な墓ですね。
当時の町長らによって建てられたそうです。
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