吉田の奇兵隊陣屋跡は当時の面影はなく、
石碑と銅像が奇兵隊の本拠地があったと、
我々に教えてくれるのみです。
「奇兵隊陣屋跡」。
敷地の殆どが水田や畑となっています。
ここを訪れた観光客は石碑と銅像、
それに案内板を見て帰ります。
・・・が、陣屋の面影を残すものが、
実はその奥にあったのです。
先日、桜山神社の神職さんに聞いて、
それがあることを知りました。
奇兵隊の守護神が菅原大神であることは、
普通に知られている事ですが、
天神を守護神としているワケはというと、
開闢総督が天神を信仰してるのが理由で、
配流後も皇室を尊んだ尊皇の象徴として、
志士達の間で信仰が流行っていました。
また農民の間で広く信仰されており、
農民出身者の多い奇兵隊士の間で、
容易に受け入れられたのでしょう。
※稲妻は稲の妻。つまり稲作の伴侶であり、
農業の神としても祀られていた。
そんなわけで奇兵隊の陣屋にも、
天神社が造られていたのです。
陣屋跡裏手に中国自動車道が通っており、
小さなトンネルがあって向う側に行けます。
先にはヤマメ釣り堀の看板があり、
道が分かれていますので、
右奥の道へ進みます。
ほんのちょっと登りになっており、
ヤマメ釣り堀へ続く道となっています。
ここの道を行かずに左の山へ。
道はありません。
・・で、ちょっと行くと石垣がありました。
これが境内の境だと思われます。
「吉田天神社跡」。
先ほどの石垣より一段高い場所に、
社殿の基礎部分の石垣がありました。
離れた高い場所から石垣を見下ろす。
広さは相撲の土俵位でしょうか?
陣屋の撤去と共に廃止されたようです。
東行庵にある延命寺の石灯籠は、
この天神社に奉納されていたもので、
跡地に半分埋まっていたのを、
東行庵3代目庵主谷玉仙が発見しました。
↑これね。
一応地図を載せときます。
行く人がいれば (いるのか?) ご参考に。
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桜山神社の神職さんに教えて頂きました。
・福岡県北九州市 延命寺/奇兵隊戦死墓
石灯篭は延命寺から持ち帰られました。