三蔭山神社は萩市須佐にある招魂社で、
三蔭山招魂場として建立されました。
三蔭山神社への階段。
他の招魂場と同じく小高い場所にあります。
三蔭山は元々浄土院山と呼ばれており、
招魂場の建立の際に名称を変更されました。
神社を建てる場所が仏教的な浄土院山では、
よろしくないということでしょうか?
「境内」。
ネットで調べたような場所じゃない??
長屋門のような横長の拝殿があったはず。
半壊状態だったので取り壊したのか?
あるのは小さな社殿のみ・・・。
なんとも残念ですね。
社殿の両脇にある墓碑。
久坂玄瑞らと自刃した田村育蔵の他、
禁門の変、内訌戦、幕長戦争、
戊辰戦争、西南戦争等、
益田家家臣の墓碑が並んでいます。
墓碑は以下の20柱。
有田彦兵衛、久我亀吉、芳川道助、
原井直助、金山義十郎、内田正一郎、
山下範三郎、藤田篤輔、村岡彦十郎、
中村芳彦、渡辺九郎、田村育蔵、
澄川謙蔵、中村惣治、中尾易三郎、
上田亀二郎、大谷撲助、河上範三、
楠木正成、山本栄槌。
禁門の変後に家中は勤皇派と保守派に分裂。
勤皇派は切腹の決まった益田親施を、
藩から奪い返そうと計画しますが、
保守派に阻止されています。
その後は保守派が勢力を拡大しており、
勤皇派も回天軍を組織して対抗。
益田家は一時断絶していますが、
後に本藩に正義派政権が誕生した為、
須佐の保守派は処罰されています。
維新後は益田家の再興も許され、
家督を相続した益田親祥は、
殉難した家臣らの霊を祀る為に、
この招魂場を建立するに至りました。
■関連記事■
・山口県萩市 育英館跡
須佐の郷校育英館。
・山口県萩市 益田家墓所
須佐領主永代家老益田家の墓所。
・山口県萩市 笠松神社
自刃した領主益田親施を祀る神社。