益田親施」タグアーカイブ

山口県長門市 大寧寺墓地/益田家墓所

石見益田家の菩提寺のひとつ妙義寺は、
13代益田秀兼大寧寺木叟和尚を招き、
開山させたとされています。
この事から益田家は大寧寺と深く結びつき、
焼失した山門を再建するなど、
大寧寺を篤く信仰していたようです。

大寧寺墓地にある益田家の分骨墓。… 続きを読む

山口県萩市 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。

益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変続きを読む

山口県周南市 三家老幽閉之地

禁門の変の敗戦後、
指揮を取った三家老は自領で謹慎。
その後第一次長州征伐での降伏条件として、
三家老の切腹四参謀の斬首が要求され、
当時の俗論党政府はこれを受け入れた為、
三家老は徳山藩に預けられます。

国司親相澄泉寺、… 続きを読む

山口県萩市 三蔭山神社

三蔭山神社は萩市須佐にある招魂社で、
三蔭山招魂場として建立されました。


三蔭山神社への階段。
他の招魂場と同じく小高い場所にあります。
三蔭山は元々浄土院山と呼ばれており、
招魂場の建立の際に名称を変更されました。
神社を建てる場所が仏教的な浄土院山では、
よろしくないということでしょうか?


境内」。
ネットで調べたような場所じゃない??
長屋門続きを読む

山口県長門市 大寧寺

大寧寺湯本温泉ある曹洞宗の寺院。
本山總持寺の直末寺として高い寺格を持ち、
守護大名大内家の菩提寺でありました。
戦国時代の当主である大内義隆は、
家臣の陶隆房が挙兵して謀反を起し、
この寺の本堂で自刃した事でも有名です。… 続きを読む

山口県萩市 育英館跡

須佐の郷校である育英館は、
益田家27代当主益田元道が開いた郷校。
益田家家臣の子弟教育の為の学校でした。

益田家33当主益田親施は、
吉田松陰から山鹿流兵学を学んでおり、
その縁で松下村塾との交流があったようで、
双方で… 続きを読む

山口県萩市 益田家墓所②

/②
つづき。


雄嶽院殿快翁全活大居士塔」。
29代(11代)当主益田就祥の墓。
28代益田広尭の嫡男として生まれ、
父の死去により家督を相続。
美濃伊勢の河川普請総奉行を務め、
笠松代官所に出向しました。
逼迫する藩の財政の打開策として、
撫育方続きを読む