山口県萩市 笠松神社

長州藩永代家老益田家の領地である須佐に、
益田親施を祀る笠松神社があります。

益田家33代当主親施は尊攘派の家老で、
吉田松陰やその門下とも近く、
京都での尊攘運動にも奔走しました。
禁門の変では家臣らを率いて進発しますが、
敗れて徳山藩に身柄を預けられて切腹
共に出兵した福原元僴国司親相と共に、
首級が広島国泰寺に送られて、
幕府軍による首実験が行われます。

後に家臣らによって笠松神社が建立され、
親施は高正大神として祀られました。

笠松神社」。
県道191号線沿い笠松山山麓にあります。
境内に寄進されている鳥居や灯籠には、
実際には無い元治3年4年と刻まれ、
慶應を認めずに元治を使い続けていました。


益田君花堂記」碑。
楫取素彦の撰による益田親施の顕彰碑。
明治26年3月に建立されたもの。


益田親施公」胸像。
享年32歳でしたので少し老けすぎかな?
須佐歴史民俗資料館蔵の肖像では、
丸々とした体格に描かれています。


新選隊記念碑」。
胸像の横の方にある記念碑。
文字が目立たないので気が付きにくい。
新選隊とはあの京都の新選組ではなく、
須佐益田家家臣からなる諸隊のひとつです。


拝殿」。
昭和57年、初代益田国兼から、
36代の益田兼施までを合祀。
社殿は創建時のもののようですが、
平成30年の山口県北西沖地震では、
鳥居などが損壊し瓦などが落ちています。

笠松神社には数年前に訪問していますが、
当時の記事はブログ移転の際、
手違いで消えてしまっていたので、
今回新たに書き直した次第です。

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