龍野藩は播磨国龍野周辺を領有した譜代藩。
藩主の脇坂家は元々外様大名でしたが、
願譜代から譜代大名となった家柄で、
歴代藩主からは老中も輩出しています。
「家老門」。
家老屋敷の門と伝えられる立派な門。
伝えられるという表現から、
完全には断定できないようです。
どうも龍野城の古地図のこの場所は、
一門脇坂久五郎屋敷と記されているものと、
藩主の新御屋敷と記されているものがあり、
どちらかは断定できないとの事。
「隅櫓」。
再建された模擬櫓ですが、
龍野城のシンボルとなっています。
紹介写真は大概この隅櫓。
「龍野小学校水練場」と表札された門が。
中はただの小学校のプールのようですが、
ウィットに富んだネーミングです。
「埋門」。
一般的な城の埋門とは、
石垣をくり抜いたような勝手口の事ですが、
龍野城では大手門の事を指すようです。
訪問時は完全に閉じていましたが、
早朝だったので常時閉じているのか、
昼間は開いているのかはわかりません。
「本丸御殿」。
戦国期は背後の鶏籠山の山頂が本丸で、
天守などもあったようです。
脇坂家が入封すると山頂の本丸は破棄され、
山麓のみの城郭構成になりました。
本丸御殿は復元されたものですが、
入場は無料。
訪問時が早朝でしたので閉まっています。
幕末の藩主は9代脇坂安宅と、
10代脇坂安斐。
9代安宅は桜田門外の変当時の老中、
変後に老中を辞任して隠居。
代わって10代藩主となった安斐は、
禁門の変後の長州藩に同情的で、
第一次長州征伐に兵を出していますが、
処分を遂行するのは困難であると上奏し、
その後の再征にも反対。
病気を理由に出兵を辞退しています。
新政府への恭順も比較的早く、
姫路征伐にも参加しました。
【龍野藩】
藩庁:龍野城
藩主家:脇坂家
分類:5万3000石、譜代大名
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藩祖脇坂安治は賤ケ岳の七本槍のひとり。
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龍野藩は姫路討伐に参加しています。