臼杵城は大友宗麟が丹生島に築いた海城で、
当時の丹生島は三方が海で囲まれ、
干潮時に陸続きとなる天然の要害でした。
宗麟は干潟を埋め立てて城下町を創り、
明確な時期は明らかではないながらも、
臼杵城を大友家の本拠としています。
後に豊臣秀吉が次代大友吉統を改易し、
福原直高、太田一吉が入封した後、
郡上八幡藩より稲葉貞通が5万石で入り、
以後は15代に渡って稲葉家が治めました。
江戸時代の臼杵城。
明治期に埋め立てられる前は、
このような海城でした。
「臼杵城跡」。
現在の臼杵城は町の中心に位置しており、
海城の雰囲気はなくなっていますが、
岩山が島であったと想像力を働かせると、
要塞的に優れた城とわかります。
「畳櫓」。
臼杵城に現存する2つの櫓のひとつ。
城には20を超える櫓があったのですが、
現存するのはこの畳櫓と、
後で紹介する卯寅口門脇櫓のみです。
「二ノ丸大門」。
古写真等をもとに復元された櫓門。
二ノ丸大門は稲葉貞通入城後に、
新たに建築されたもの。
「井楼櫓跡」。
畳櫓の上段にあった二層櫓で、
畳櫓の倍の大きさだったという。
「会所櫓跡」。
会所櫓という名前から察するに、
会所として使われた櫓だったのでしょう。
「臼杵護国神社」。
臼杵城攻防戦で戦死した臼杵隊士43名と、
藩祖稲葉一鉄と歴代藩主を祀る神社。
別の神社だったものが合祀されたもの。
稲葉一鉄は西美濃三人衆のひとりで、
斉藤道三に仕えて活躍していましたが、
美濃が乱れて三人衆は織田信長に内応。
これによって美濃を攻略した信長は、
天下統一を目指す事となります。
以後は信長、秀吉に仕えていますが、
[頑固一徹]という言葉は、
稲葉一鉄から来ているという説もあり、
頑固な人物であったとの事。
「大友宗麟公」レリーフ。
宗麟没後350回忌に制作されましたが、
戦時の物資供出のために失われ、
現在は複製が新たに制作されて、
臼杵公園旧西の丸庭園跡に置かれています。
「国崩し」。
勢力を拡大する島津家に対し、
単独では対抗できなくなった大友宗麟は、
中央の豊臣秀吉の傘下に入る事で、
島津家を撃退しようと画策しますが、
派遣された豊臣軍の長宗我部元親、
仙石秀久、十河存保は戸次川の戦いで、
島津家久に敗れており、
元親の嫡男信親と存保は討死しています。
※仙石は責を問われて改易処分。
島津勢は豊後に侵攻し府内城を陥落させ、
宗麟が寡兵と守る臼杵城にも侵攻。
しかし宗麟は大砲[国崩し]を用い、
籠城して島津勢を寄せ付けませんでした。
やがて豊臣家の大軍勢到来の報が伝わり、
島津勢は撤退を余儀なくされ、
大友家は滅亡寸前で救われています。
臼杵公園グランドを越えると、
石碑が並ぶ場所に到着。
「野中蘭畹顕彰碑」。
藩校学古館の教授野中蘭畹の顕彰碑。
臼杵の海沿いに私塾を開いて、
漢文、語学、算術、習字などを教え、
後に藩校学古館に教授として招かれました。
維新後は大蔵省に出仕しています。
「勤皇臼杵隊之碑」。
明治10年に起こった西南戦争の際、
薩摩奇兵隊約3000名は臼杵に侵攻。
これに旧家老稲葉頼が臼杵隊を結成し、
僅か785名で臼杵城に籠城します。
援軍の警視隊百名を追加しても1/3以下。
戦国時代に島津勢を防いだ臼杵城でしたが、
抵抗の甲斐なく多勢に圧倒され陥落します。
その戦闘で死亡した43名の臼杵隊を称え、
建立されたのがこの石碑。
後に野津道貫率いる政府軍の攻撃により、
薩摩奇兵隊は臼杵城から退却しました。
「空堀」。
二ノ丸と本丸を別ける空堀。
「天守台」。
臼杵城の天守跡。
天守の外観は絵図によって異なっており、
何度かの改修が行われたようです。
「本丸跡」。
本丸は二ノ丸より標高が低かったようで、
大友時代はこちらが二ノ丸だったともいう。
島は真ん中が高いのが当たり前ですが、
でも海城が横行した当時を考えると、
一番奥側が本丸の方が理に適っています。
稲葉時代はこちらが本丸なのは確定。
「卯寅稲荷神社」。
本丸内に境内がある卯寅稲荷神社。
築城時に丹生島明神を祀ったのが始まりで、
稲葉家時代は豊漁豊作祈願が行われ、
明治六年に現在の場所に移されたようです。
「卯寅口門脇櫓」。
卯寅口門脇櫓は現存櫓のひとつで、
本丸の海側の出入口にあった櫓です。
江戸中期は御鉄砲薬櫓とされており、
名称や役割が時代によって変わりました。
臼杵藩は14代稲葉観通を軍制改革を行い、
領内川登の猟師らを集め川登鉄炮卒を組織。
また海岸測量や砲台建設に力を入れました。
15代藩主稲葉久通は佐幕の立場を続け、
朝廷の上洛要請にも応じようとはせず、
豊後諸藩の中で最も遅く上洛しています。
この遅延を挽回しようとしてか、
豊後諸藩で最も早く版籍奉還を行いました。
【臼杵藩】
藩庁:臼杵城
藩主家:稲葉宗家
分類:5万石、外様大名
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