蓮池藩は佐賀藩の支藩。
初代鍋島勝茂の五男鍋島直澄が、
5万2000石を分知されて立藩し、
佐賀城三ノ丸に政庁を構えていましたが、
後に蓮池に陣屋を構えました。
蓮池陣屋跡は蓮池公園として整備され、
建物は残っていないものの堀や庭園などが、
当時の様子を伺わせています。
「蓮池神社鳥居」。
蓮池神社は歴代藩主の霊位を祀る神社で、
明治10年に蓮池陣屋跡に建立されました。
とはいえ境内に社殿が見当たらない。
ネットで見ると荒れ果てていたようなので、
取り壊されたようです。
「蓮池神社参道橋」。
神社の建立時に架けられた石橋。
藩政時代にはありませんでしたが、
架けられた水路は陣屋の堀跡のようです。
「雲叟公の歌碑」。
肉弾三勇士の江下武二伍長の銅像の台で、
※江下伍長は蓮池出身。
江下伍長の銅像が撤去された後、
台に8代藩主鍋島直与の歌が刻まれました。
「泉水、築水」。
これも神社の建立時に造られたもので、
7km離れたお茶屋の井樋から水を引き、
澄んだ水が絶えず流れていたという。
築山の樹木も手入れが行き届き、
素晴らしい眺めであったようです。
「戊辰出征記念碑」。
蓮池藩は戊辰戦争に545名の藩兵を送り、
英国船で日本海を北上して秋田に上陸し、
各地を転戦して6名の戦死者を出しました。
これは慰霊碑ではなく出征記念碑なので、
戦死者以外にも全員の名が刻まれています。
佐賀江川を越えて蓮池公園へ。
現在は佐賀江川に仕切られていますが、
実は当時の佐賀江川は蛇行しており、
神社と公園のある場所は繋がっていました。
川は明治期の河川改修によって直線となり、
陣屋跡を横切って双方を分離させています。
「蓮池公園」。
蓮池公園は陣屋内の庭園があった場所で、
様変わりしているとは思いますが、
美しい公園となっています。
「頌徳園碑」。
蓮池藩8代藩主鍋島直与が、
正四位を追贈された事を記念して、
建立された頌徳碑。
題字は徳川宗家の徳川家達。
「雲菴道人歸田詩碑」。
雲菴は8代直与の別号。
直与は幕末における藩政の手腕を評価され、
若年寄や寺社奉行の推挙を受けましたが、
宗家の鍋島閑叟の反対で辞退。
弘化2年に隠居して藩主の座を退き、
鍋島直紀に家督を譲り蓮池で隠居しました。
その心境を詠った十詩が刻まれています。
「男山(雄山、小芙蓉山とも)」。
この小高い丘の南に演習場が設けられ、
藩主や指揮官が閲兵や指揮したとされます。
蓮池藩の8代藩主鍋島直与は、
高島秋帆の長男高島浅五郎や、
蘭医の島本良順を蓮池に召還し、
軍制や民政の改革を行った他、
倹約令、知行削減などで財政再建を行ない、
藩の発展、健全化に成功させています。
この政治手腕は幕府にも評価され、
幕政への参加を打診されますが、
宗家の佐賀藩の反対によって辞退しました。
園内の碑はこの直与に関するものが多く、
慕われていた様子が感じられます。
この蓮池神社と公園の説明板には、
8代直与の名は[直興公]となっています。
直与は直興を名乗った時期もありますが、
直興の諱は5代藩主も使っており、
説明文がとってもややこしい。
もっとわかりやすい方か良いと思います。
【蓮池藩】
藩庁:蓮池陣屋
藩主家:直澄流鍋島家
分類:5万2000石、外様大名(佐賀藩支藩)
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