①/②
相馬家は平氏一門の名家で、
鎌倉時代より陸奥国に移住し、
約740年の間この地を統治していました。
これは南部家、島津家と同様に最も古く、
世界史的にも長期の統治だったようです。
戦国時代の当主相馬義胤は、
関ケ原の戦いの後に佐竹家に連座して、
一旦改易されてしまいますが、
改易撤回の直訴で許されています。
義胤は牛越城を築城していましたが、
所領安堵の際にこれを破棄し、
小高城を本拠地とした後、
中村城へ移り小高城を破棄しています。
以後は中村城が藩庁となりました。
※中村城や中村藩は他と区別する為、
通常は相馬中村城、相馬中村藩と、
相馬を付けて呼称されています。
「中村城大手一ノ門」。
義胤が川越城城番だった頃に、
川越城の城門が堅固なのに感心し、
それを模して建てられたとされています。
※川越城は約8年間幕府直轄の城でした。
「中堀」。
中村城跡は、水堀が多く残されています。
外堀以外の殆どが残されていますので、
当時の姿が想像しやすい状態。
「泣面堀」。
南側の中堀なのですが、
泣面堀という不思議な名称です。
掘る際に相当に大変だったからなのか、
何か悲しい伝説があるのか?
調べてもよくわかりませんでした。
「南二ノ丸跡」。
広々とした何も無いグランドとなっており、
イベントなんかに使用されてるのでしょう。
二ノ丸は東西南北の4つに分かれており、
それぞれ独立した曲輪となっています。
この南ニノ丸が一番面積が広い曲輪でした。
「大坪當流相馬胤真先生碑(左)」、
「正四位勲二等鈴木直人先生」胸像(中央)、
「羽根田永清君碑(右)」。
相馬胤真は一門家老相馬将監家の当主で、
大坪當流馬術の免許皆伝者。
広野の戦いで父の相馬胤真が戦死し、
僅か11歳でその跡を継いでいます。
鈴木直人は明治~大正時代の政治家ですが、
幕末維新とは関係ないので割愛。
羽根田永清は相馬中村藩士で、
維新後は自由民権運動に参加。
明治16年に官吏侮辱罪で逮捕。
福島監獄に投獄されて獄舎で死亡しました。
「内堀」。
東二ノ丸跡を囲む堀。
「相馬中村城址」碑。
東二ノ丸跡に至る通路沿いにあります。
碑はかなり傾いていました。
「東ニノ丸跡」。
東二ノ丸跡は野球場。
曲輪のカタチを上手に利用しており、
良い活用方法だと思います。
延宝2年(1674)~天明3年(1783)頃まで、
御殿が建てられていたようで、
藩主の邸宅となっていたとのこと。
石段を登って丸土張と呼ばれる馬出へ。
こちらが本丸への大手口のようです。
つづく。
①/②
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