今更ながら涙袖帖③

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(7)文久2年5月1日(京都より)
三月廿八日四月四日の手帋慥に受取申候
我等も此せつは京都御屋敷の後に住居いたし
佐世楢崎兄弟寺島中谷眞五郎なと同居に候
杉蔵和作彌ニなと追々来り申候面白く楽しき事は
此せつに候併し去月十三日松洞割腹いたし候事は
甚以残念之次第に候松洞方へ手紙出度候得共
何とも申様無之に付差控申候梅兄に直様金を借
大仕合の事に候玉木おぢ様御役に御出被成候
よし悦申候さては若殿様御上京に相成候まことに
ありかたき御意なとも有之申候よしにて
今まではとふも苦心千萬に候處生上たここちに
相成候此段随分安心なさるへく存候
保福寺へはたへす御まいりと安心いたし申候
大谷中井なとへも安心なさる様に
申置なさるべく存申候何も用事のみあらあら
申入参らせ候它はのち便と申殘めてたくかしこ
  五月朔日
               玄瑞
尚々用心なさるへく候杉みなみなさまへも
申上られ候やう頼参らせ候巳上
お文との
訳:3月28日と4月4日の手紙は、
確かに受け取りました。
我等も最近は京都御屋敷裏に住んでおり、
佐世、楢崎兄弟、寺島、中谷眞五郎と同居し、
杉蔵や和作、弥二なとも追々来るでしょうから、
面白く楽しい日々となりそうです。
しかし先月13日に松洞が割腹した事は、
まことに残念でした。松洞の実家へ手紙を出したいが、
何と言えば良いかわからず差し控えています。
梅兄に借りた金で大変助かりました。
玉木の叔父様が御役に就いた事お慶び申し上げます。
若殿様も御上京になり有難い御意なども有り、
今まで苦心してきた事が報われたようで、
生き返ったような気持ちです

保福寺へ絶えずお参りとの事、安心しています。
大谷や中井なとへも安心なさる様にお伝え下さい。
何か用事があったわけではありませんが、
またお手紙差し上げます。
  5月1日
               玄瑞
お体に気を付けて下さい。
杉家の皆様へも宜しくお伝え下さい。
お文との

松浦松洞の死による悲しみもありますが、
 準風満帆のようで機嫌が良い様子が伺えます。
 前の手紙は最低でしたが、これは悪くないですね。
 佐世は前原一誠、楢崎兄弟は弥八郎仲助
 寺島は寺島忠三郎、和助は野村靖

(8)文久2年5月28日(京都より)
小太郎殿お里どのおんすこやかに候と悦参らせ候巳上
四月廿三日此月五日之手紙此内相とどき御気分も
よろしく相成候よし悦に候拙者も此内巳来流行の
はしかわづらひ大なんぎいたし候處此せつはこころよく
相成候に付御あんもし下さるべく候梅兄もやはり同様の
御なんぎなされ候よしに候處これも御快気と申事ゆへ
大安心致候さてこの内なつものおくり下され
大仕合申候御國もと出足のせつは中々なつもの
入用とも考不申候處此せつの様子にてはいつまで長陣に
相成やもはかられがたく委敷は杉蔵歸申候に付
おんききなさるべく候亀太郎の事はさてもさても
きのどく千萬老母のかなしみ思ひやられ申候
ここもとにてもはかりつばに相立申候事に候
拙者も此せつはかれこれしんぱい事ばかりにて
十のものが九までは思う様に相成不申少敷も御奉公の
しるし無之愧敷次第に候吉田先生此せつまで
御そんぜうならばとざんねんに思うばかりに候
中井大谷にも拙者のいとまごひにもまいらぬ事を
如何に思召るべく候得共心底にまかせぬ事に付
おんついでもあればよろしくおんことはりなさるべく候
さては此の度の事に付には婦人にも中々かんしんなもの
多く有之事に候久留米の眞木和泉守と申神主の娘
此度の事に付上方へ登られし折柄其娘のよめる
 梓弓はるは来にけり武士乃花さく世とはなりにけるかな
和泉守と申は拙者も至に心易き男にて有之申候
此弟は大鳥井利兵衛とて先日筑前の黒崎と申所にて
切腹致され候ほどの人にて候叉梅田源二郎の
姪お富と申女のよめる歌おくり申候これはじき筆にて候
杉蔵のいもとも賓にかんしんなものにて候
その杉蔵へおくり候書状をも御よみなさるべく候
拙者今日もいそがしき事ゆへあらあら申しおくり候
めて度かしこ
  五月廿八日
                  玄瑞
 尚々杉みなみな様へよろしくおん申なさるべく候
 玉木佐々木兒玉小田村へ同断
 ご用心申もおろかに候かしこ
 阿文どのへ
訳:小太郎殿やお里殿は元気に育っているようですね。
4月23日と5日の手紙は届いています。
ご気分よく過ごされている事を嬉しく思います。
拙者も流行の麻疹を患い大変難儀していましたが、
この頃は回復していますのでご安心下さい。
梅兄も同様に麻疹でご難儀されていましたが、
こちらも回復している様子ですのでご安心下さい。
さて、夏物をお送り下さいまして、大変喜んでいます。
お国元を出立した際は、夏物がいるとは考えておらず、
この頃の様子ではいつまで長居するかわかりません。
詳しくは杉蔵が帰りますので、お聞きになって下さい。
亀太郎の事は、とても気の毒な事で、
老いた母の悲しみが思いやられますが、
こちらでは立派な墓は建ててはいます。
拙者もこの頃は心配事ばかりで、
十のうち九までは思い通りにならず、
少しも御奉公出来ておらず恥ずかしいかぎりで、
吉田先生が存命ならばと、残念に思うばかりです。
中井や大谷の家は、拙者が暇乞いにも参らなかった事を、
どう思われているかわかりませんが、
自分でもどうしようもないことなので、
ついでがあれば宜しくお伝え願います。
さて、婦人の中にも中々感心な人が多くいるようです。
久留米の真木和泉守という神主の娘は、
この度の事で上方へのぼられる際に、
 梓弓はるは来にけり武士乃花さく世とはなりにけるかな
と、歌ったそうです。和泉守は拙者も心安い人物です。
彼の弟は大鳥井利兵衛いう人物で、

先日筑前黒崎という所で、切腹なされたほど人物です。
また梅田源二郎の姪お富という女姓の詠んだ歌を贈ります。
これは直筆です。杉蔵の妹も実に関心なもので、
その杉蔵へ送った書状をお読み下さい。
拙者は今日も忙しいく、簡単に申し送っています。
  5月28日
                  玄瑞
杉家の皆さまへ宜しくお伝え下さい。
玉木、佐々木、兒玉、小田村へも同様です。
お体にお気を付けて下さい。
阿文どのへ

小太郎殿お里殿梅兄(杉民治)の子。
 久坂も梅兄も麻疹を患ったようですが、
 双方とも回復している様子。
 文から夏物を送られてとても喜んでいます。
 京都の夏は蒸し暑いですからね。
 亀太郎は松浦松洞の事でその死を引きずっている様子。
 運気も良くないのか泣き言を書き連ねています。
 ここまでは悪くないのですが、ここからが良くない。
 普通の奥さんならブチギレです!
 他の女の事を褒めてばかり。これはダメです。
 久坂は京でモテていたということですが、
 女心については全く分かっていません。
 (僕もわかりませんが・・)
 久坂はそんなつもりはないのでしょうが、
 これを送られた女性は十中八九怒るでしょう。
 そんなんだから十のうち九まで上手くいかないんだって!
 大鳥居理兵衛真木和泉の弟で、
 脱藩して尊攘活動の為に京へ向かいますが、
 下関で藩吏に捕まって説得され、
 久留米へ帰る途中の黒崎宿で自刃しました。
 梅田源三郎とは梅田雲浜の事。
つづく。 
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