今更ながら涙袖帖④

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(9)文久2年6月25日(京都より)
あつさつよく御座候處まづまづご無事おんくらし
なされ候半安心いたし候わたしも此せつはかはる事
なくしのき候まま御あんもし下さるべく候杉みなさま
いかかなされ候や此せつははしか大はやりおんくにも
やはり同様にこれあるべく案申候さてさてとのさま
御上京遊ばされ候御事に付而は一方ならぬしんぱい事にて
有之申候わたしも御ほうこうのしるし少しも相たち申さず
はずかしき次第に候此時こそとはぞんじ参らせ候
得共何分思ふままになにもかもなりかね口おしき事に候
申もおろかなから御先祖さまへのおんつとめかんもしに
そんし参らせ候杉みなさまにもよろしくおんつたへ
下さるべく候久保此度は江戸より歸られ候ことも
只様日のひに相成申候少々は流行のよしに承候事なり
何卒早々こころよくなられかしと祈申候
梅兄も先日は御不快と申事に候處此せつは大きにご気分
よろしき方と申事に付あんもしいたし参らせ候
何も多用中あらあら申し殘候めてたくかしこ
  六月廿五日
                玄瑞
 尚々ご用心かんもしにぞんじ参らせ候御親類方へ
 よろしく御つたへなさるべく候かしこ
 阿文どのへ
      様
訳:暑さ強い様ですが、ご無事に暮らしているようで、
安心しております。私もこの頃は変わることなくしのぎ、
ご安心下さるように。杉家の皆様は如何されていますか。
この頃は麻疹が大流行で、国元も同じではないかと、
心配しております。さてさて、殿様がご上京されて、
こちらは一大事となっております・
私も御奉公のしるしが全く立っていないので、
恥ずかしい思いをしていましたので、

今度こそは思っていますが、中々うまくいきません。
言うまでもなく、ご先祖様へのお勤めも大切です。
杉家の皆様にも宜しくお伝え下さい。
久保がこのたびは江戸より帰られたようですが、
流行の麻疹を患ったようですので完治を祈っています。
梅兄も先日は体調が悪かったようですが、
この頃は大いにご気分が宜しいようですので、
安心して下さい。何とも忙しく簡単に伝えています。
  5月25日
                  玄瑞
お体をお気遣い下さい。御親類方へ宜しくお伝え下さい。
阿文どのへ

※久坂らは政敵長井雅楽の殺害を企てていますが、
 手紙にはそんな荒々しい雰囲気は無く、
 泣き言や家族への気遣いを述べています。
 麻疹に久坂も梅兄も罹った様子。
 久保とは村塾生の久保清太郎か?

(10)文久2年8月13日(京都より)
六月十八日同廿三日七月四日之御文おいおいに
被見いたしまづまづ御無事におんくらしなされ候
よし悦参らせ候拙者も此内よりおんつつしみにて
ひきこもり居候得共気分には少しも相かわり候事
無之候付御あんもしなさるべく候此内九一歸り候
事に付様子おんききなされ候半とそんし参らせ候
此せつは榮太郎も拙者一處に相なり日夜はなしなど
いたし居候事に付母も安心いたし候様おんつたえ
なさるべく在参らせ候ただただ松洞の母日夜嘸々
悲しく思ひ申すべくと相考え候得は賓に気毒之事に
有参らせ候
書足し:松洞のめいにちには香奠御つかわし可被成候
先日は歌三首御おくりなにより悦孟子候事に候
此のちも何とぞおんおくりなさるべく候
拙者も返歌なりともおくり度そんし参らせ候得共
此せつはまことに用事多く候故叉々おくり可申候
昨日より中谷正亮佐世有吉彌ニなとも江戸へ
下られ申候
若殿様去三日御發駕被爲遊候何卒此度の御事
ほどよく相ととのひかしと日夜祈申候事に有之候
筆末なから杉みな様へよろしく御傳へなさるべく候
御用心申もおろかにそんし候めてたくかしこ
  八月十三日
梅兄も此間より御上京なされ悦申候小田村も同様に候
さぞさぞ御親類にも拙者の書状も差出不申候
事故づべらを御立腹なされ候事と恐入申候
何卒よろしく御ことわり頼入候
お文とのへ
     様          玄瑞
生雲中井にも無事とそんし参らせ候拙者もこころの如く
相成不申残念の次第に候此度はいそがしきよへあらあら
申遣候かしこ
別紙早々おととさまへ御見せなさるべく候
訳:6月18日と23日、7月4日の御文は、
追々に読ませて頂き、まずまずご無事に暮らされ、
喜んでおります。拙者もこの頃より謹慎処分となり、
引きこもっていますが、気分も相変わらずですので、
ご安心ください。そのうちに九一も帰りますから、
詳しく聞いて下さい。榮太郎も拙者と一緒になり、
日夜話などしていますので、
榮太郎の母にも安心してとお伝え下さい。
ただ松洞の母が悲しい思いをしてると思うと、
本当に気の毒に思います。
松洞の命日には香典を持って行って下さい。
先日は歌三首を送って下さり喜んでいます。
これからもどうぞ送って下さい。
拙者も返歌を送りたいとは思っているのですが、
この頃は真に用事多くなかなか送れません。
昨日より中谷正亮、佐世、有吉、彌ニなとも、
江戸へ下りました。
若殿様はさる三日、ご発駕に遊ばされ何卒此度の事、
無事に整うようにと日夜祈っております。
筆末なから杉家の皆様へ宜しくお伝え下さい。
体にお気を付け下さい。
  八月十三日
梅兄もこの頃ご上京なされ嬉しく思います。
小田村も同様です。
ご親類にも拙者の書状は渡し辛いと思います。
今回の事をご立腹なされている事でしょう。
何卒宜しくお断り下さい。
お文とのへ
               玄瑞
生雲中井にも無事をお伝え下さい。
拙者も思いもよらぬ事で非常に残念です。
この度は忙しいので簡単にお伝え致します。
別紙をすぐにお義父様へお見せ下さい。

長井雅楽襲撃に対する待罪書を提出して、
 謹慎処分となった久坂。罰を待つ身ですが、
 死んだ松洞の母の事を気に掛けている様子。
 謹慎中なので忙しい筈は無いのですが、
 返歌を送りたいが忙しいと言っています。
 文は歌を送ったようですが、これは女の意地でしょう。
 あれほど他の女を褒められたら送らざるを得ませんね。
 そんなに重いものと考えていない久坂は、
 「ありがとう。これからもおくってね~
 という呑気な返事。これには文も苦笑いでしょう。
 
つづき。
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