今更ながら涙袖帖⑥

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(14)文久2年10月9日(京都より)
兒島に歌集うつしおくり参らせ候に付よみがたきところは
梅兄になりともおんききなされ候而くりかへしくりかへし
おんよみなさるべく候頼参らせ候めてたくかしこ
  十月九日
                  玄瑞
於文どのへ
訳:兒島に歌集の写しをお送りましたので、
読みにくいところは梅兄にでも聞いてください。
繰り返し読んで頂けるようお願いします。
  10月9日
                  玄瑞

※歌の催促です(笑)。
 わざわざ歌集を写してまで・・・

(15)文久3年2月25日(京都より)
  尚々けさより寺島出立に付いそがしきゆへ梅兄へも
  書状さし出不申候そもしよりよろしく御傳言頼参らせ候
いかにも此せつは多用に付文をもおくり不申候得共拙者
事別條なく日夜外出などいたし候間御案んもし下さるべく
頼入参らせ候此うちの御文にてそもしの無事をもききあんもし
いたし参らせ候此せつは将軍御上京などにて京師もにきはしく
昔よりまれなるほどの事に有之申候
きんりさまの御こころのごとく相ならずでは不相叶
若殿様を始苦心なされ候事に候此處にて日本の盛になるも
おとろへるも分り候事に候得は中々大事なる事と朝な夕なに
苦心此事にて御去年の此せつまでは松洞も中谷もおられ候事
にてたのしみ候ところ今はなき人となられいかにも残念之至
に候九一も此内上京先々力を得候ここちいたし参らせ候
何もあらあら寺島よりおんききなさるべく頼入参らせ候
めてたくかしこ
  二月廿五日
 あらし山には此せつ櫻の花さかりにてけしからぬ花見にて候
大きみの御幸しもりがあらし山やま櫻花今さり里かな
                   玄瑞
 お文とのへ
      無事
訳:今朝より寺島出立の為に忙しいので、
梅兄への書状が出せずなかったので宜しくお伝え下さい。
この頃は多忙なので手紙を出せていませんが、
拙者は変わりなく日夜外出していますので、

ご安心してください。
最近の手紙でそちらの無事を聞いて安心しております。
この頃の将軍ご上京などで、京都も賑わっており、
これほど賑わったのは初めてとの事。
禁裏様の御心のようになってはおらず、
若殿様をはじめ苦心なされております。
この頃は国勢が衰えたというのもよくわかり、
なかなか大変な事態だと朝夕苦心しています。
去年の今頃までは松洞も中谷も生きていたので、
楽しかったのですが、亡き人となってしまい残念です。
九一もそのうち上京して力になってもらえるようです。
詳しくは寺島より聞いて頂ければと思います。
  2月25日
嵐山は花盛りですので不謹慎ですが花見に行きました。
大きみの御幸しもりがあらし山やま櫻花今さり里かな
                   玄瑞

 お文どのへ
      無事

※前の手紙では暇(?)そうでしたが、
 今回は忙しいようです。
 将軍の上洛で京都は賑わいを見せている様子。
 「不謹慎だけど花見にいっちゃった♡」と、
 忙しく日夜働いているとか言っときながら、
 嵐山まで行って花見なんかしています。
 文が天然であることを祈るばかりです・・(笑)。

(16)文久3年4月25日(三田尻?より)
 此内巳来度々のおんふみたしかにうけとり参らせ候
 一々御返じもいたさずさぞさぞ御あんもじとすいし参らせ候
ちよと申遣し参らせ候されはこの度拙者共同士中三十三人
下のせき出張としておもむき申候昨夜とのみにつき候
この度は萩にもかへる事には不相成いかにも情なきものと
おもひ玉はるべく候得共おん國の御大事には引換られ不申候
まことに多人数にてこころつよき事おもしろくいさましき事
に候なにものちの便と申残置候めでたくかしこ
  四月廿五日
 杉みなはまへも宜敷おんことわりなされ玉はるべく候
 中井玉木其外へもをなじく頼入候巳上
志ら雲能た奈びくく末はあし可゛き能ふ里ぬ流さとの屋とのあ多里楚
ふるさとの花さへ見ず尓豊浦の尓ひさきも里と吾は來尓个里
眞木の立あら山中能屋ま可つも と可゛ま手奈ぎ里夷き多゛め奈
あら磯尓よせ來る波の岩尓ふれちゞ尓碎くる王か゛おもひ可那
夕なぎ尓い多くななきそ者ま千鳥な可゛聲聞けば都しおもほゆ

 おん笑とすいもしいたし参らせ候
お文どのへ
訳:この頃頂いているお手紙は確かに受け取っていますが、
いちいち返事も差し上げず、さぞご心配していると思います。
少し申し上げれば、この度拙者ら同士33人は、
下関に出張となって昨夜到着しました。
今回は萩にも帰らずいかにも情が無いとお思いでしょうが、
お国に一大事には換えられません。
真に多人数で心強く楽しく勇ましいです。
また別の便りでお伝え申し上げます。
  四月廿五日
杉家の皆様へも宜しくお伝え下さい。
中井、玉木その他へも御同様にお願いします。
志ら雲能た奈びくく末はあし可゛き能ふ里ぬ流さとの屋とのあ多里楚
ふるさとの花さへ見ず尓豊浦の尓ひさきも里と吾は來尓个里
眞木の立あら山中能屋ま可つも と可゛ま手奈ぎ里夷き多゛め奈
あら磯尓よせ來る波の岩尓ふれちゞ尓碎くる王か゛おもひ可那
夕なぎ尓い多くななきそ者ま千鳥な可゛聲聞けば都しおもほゆ

 お笑いになると思いますが。
お文どのへ

下関出張です。彼らが光明寺党になるのですが、
 彼らは27日に下関に来て長泉寺に宿泊していますので、
 下関ではなく三田尻あたりで書いたのかもしれません。
 長州に帰ったのに萩に寄らないことを詫びています。
 歌を五首添えていますが、文は送ったのでしょうかね?

つづく。
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