長い長い東北出張を終えた帰路、
途中の伊勢崎で一泊しましたので、
早朝の出発前に周辺の史跡へ。
出張中に帰りは伊勢崎で一泊するというと、
伊勢崎オートレース場で一発当てて帰ったらと、
お客さんに冗談を言われましたが、
確かに宿の近くにオートレース場がありましたが、
もちろん僕は博才はありませんし、
そんな時間もお金も興味もありません。
ただ子供の頃に親戚の伯父さんに連れられて、
山陽小野田市にある山陽オートに行った記憶があり、
今は亡き伯父さんを思い出しました。
前置きが長くなりましたが、
伊勢崎藩は稲垣長茂が加増されて大名となり、
伊勢崎に陣屋を建設して立藩したのが始まりです。
次代稲垣重綱が藤井藩に加増転封されると、
伊勢崎は前橋藩の継嗣酒井忠世に与えられ、
忠世が前橋藩主となると前橋藩領に組み込まれました。
その後、前橋藩の支藩として再び伊勢崎藩が立藩し、
以後は酒井雅楽頭家支流が治めています。
※宗家は後に姫路藩へ転封しています。
「伊勢崎市立北小学校(伊勢崎陣屋跡)」。
伊勢崎陣屋跡は現在北小学校の敷地となっています。
敷地内の「旧時報鐘楼」は大正4年製のもので、
市内出身で横浜で薬種商を営んでいた小林桂助の寄付。
ですが、陣屋跡の遺構は皆無で碑や説明板もありません。
小学校南側の織物工業組合の駐車場の一角に庭園があり、
大きな2つの石碑が建てられています。
「下城爾一郎君碑銘(左)」、
「森邨熊蔵君之碑銘(右)」。
双方共に伊勢崎銘仙の振興に功績のある人物。
北関東は江戸時代より絹織物の盛んな地で、
特に伊勢崎銘仙は独自の手法で人気が高く、
他の銘仙に比べて高級品とされています。
JR伊勢崎駅に程近い同聚院へ。
「同聚院の武家門」。
伊勢崎陣屋は稲垣家が築いていますが、
その陣屋は稲垣家の転封後に取り壊され、
その後、酒井家の支藩として再立藩した際に、
改めて陣屋が建てられています。
この同聚院の門は稲垣家の陣屋が取り壊された際、
ここに移築されたもの。
酒井家の陣屋遺構は皆無ですが、
その前の稲垣家の陣屋遺構は残されているわけです。
宗家の姫路藩8代藩主酒井忠績は最後の大老、
9代藩主酒井忠惇は老中と幕政に深く関与しており、
支藩である伊勢崎藩も佐幕派として見られますが、
時勢を見た8代藩主酒井忠強は自主的に謹慎し、
東山道先方隊総督府に恭順の意を示しています。
藩兵は同じく恭順した北関東諸藩と共に越後に向かい、
三国峠の戦いで会津藩と戦っており、
さらに北上して六日市まで進軍した後に凱旋。
その後、白河への武器搬送も行いました。
【伊勢崎藩】
藩庁:伊勢崎陣屋
藩主家:忠寛流酒井雅楽頭家
分類:2万石、譜代大名(姫路藩支藩)
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・兵庫県姫路市 姫路城
姫路藩酒井雅楽頭宗家の居城。世界遺産。