庄内藩酒井家の菩提寺大督寺。
酒井家次が下総国臼井に転封した際、
酒井家の菩提寺として大信寺を建立し、
高崎への酒井家移封に従って移転。
酒井忠次正室碓井姫が死去した際、
その法号に因み大督寺に改称しました。
その後、高田、松代を経て庄内に移転。
寺領は150石だったという。
「本堂」。
明治22年に本堂に私立忠愛小学校が創設。
托鉢で集めたお金で昼食を出したとされ、
学校給食発詳の地となっています。
本堂は明治30年に焼失してしまい、
現在の本堂はその後に再建されたもの。
児童らは町立小学校へ編入しています。
「酒井勝貫功徳碑」。
本堂前にある侠医酒井勝貫の功徳碑。
庄内藩士酒井直貔の長男で、
父直貔は大山庄太夫の監視役を命じられ、
大山宅で連日警固の任に就いていましたが、
※大山庄太夫は庄内藩公武合体派の首魁。
丁卯の大獄で自宅に監禁されていた。
大山は監視の隙を突いて自害してしまい、
監視不行届の罪状で家名断絶となります。
勝貫は医学を学んで維新後に開業し、
断絶していた酒井家を再興。
粗末な家に粗末な衣服を着て、
貧民達を診療して無理に金は取らず、
侠医として称えられました。
また盲人教育所の教諭も務め、
時には政治の腐敗を演壇で説いたという。
「酒井家墓所」。
大督寺に隣接する広大な墓地で、
酒井家藩主一族45基の墓があります。
個人所有地の為に現在は非公開ですが、
2022年の目標で一般公開が計画され、
整備が行われているとのこと。
※コロナの影響で遅れているようです。
墓所内の様子。
歴代藩主は江戸在勤時に死去しても、
遺骸が運ばれて大督寺に埋葬されました。
通常は外様大名でさえ江戸で死去した場合、
江戸の菩提寺に埋葬されることが多く、
譜代大名が歴代全て埋葬されているのは、
極めて稀なケース。
一般公開は是非ともお願いしたいですね。
その暁には必ずもう一度庄内に赴きます。
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