野辺地は北前船の寄港地であり、
尾去沢鉱山の銅の搬出港でもあり、
奥州街道の宿場町で下北半島への玄関口。
盛岡藩と石黒藩の藩境付近でもあった為、
盛岡藩は最重要地点と位置付けており、
代官所を設置したうえに、
要塞的な機能を持たせていました。
野辺地町野辺地周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場だった場所。
北上してきた奥州街道は、
野辺地より西に折れています。
西側より散策。
「野辺地橋」。
この橋を渡った西側が野辺地宿の入口。
野辺地戦争では激戦地となっています。
「野辺地代官所跡」。
室町時代築城の野辺地城があった場所で、
一国一城令で廃城とされた後も、
要塞陣屋として代官所が置かれていました。
現在は図書館、公民館、
歴史民俗資料館となっています。
宿場は北側の馬門野辺地線周辺ですが、
その面影は全く残っていません。
※何も無かったので写真を撮り忘れました。
「浜町の常夜燈」。
野辺地町のシンボルでもある常夜燈。
上記したように野辺地は北前船の寄港地で、
港町としてもにぎわっています。
この常夜燈は毎年3~10月まで火灯され、
野辺地港入港の目印となっていました。
野辺地宿には吉田松陰も宿泊しており、
一泊した後に七戸宿に向かいました。
その道中で猟夫4人と出会ったようで、
去年は熊を5~6頭仕留めたが、
今年は1頭も獲れてない等と聞いています。
■奥州街道の宿場町
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