七戸宿は奥州街道の104番目の宿場町。
元々七戸氏の居城七戸城の城下町でしたが、
当主である七戸家国が九戸政実の乱の際、
九戸政実側に組した事により処断され、
七戸城は南部宗家の支城となります。
後に… 続きを読む
「野辺地戦争」タグアーカイブ
岩手県盛岡市 聖寿寺②/盛岡藩南部家墓所
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青森県上北郡 野辺地宿跡
野辺地は北前船の寄港地であり、
尾去沢鉱山の銅の搬出港でもあり、
奥州街道の宿場町で下北半島への玄関口。
盛岡藩と石黒藩の藩境付近でもあった為、
盛岡藩は最重要地点と位置付けており、
代官所を設置したうえに、
要塞的な機能を持たせていました。
野辺地町野辺地周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが宿場だった場所。… 続きを読む
青森県上北郡 野辺地湊と春陽丸の砲撃
野辺地湊は北前船の寄港地として栄え、
大豆や銅などの産物を積み出す船や、
大坂からの塩や生地、
日用品などを降ろす船で賑わました。
青森県北東部周辺。赤丸が野辺地湊。
陸奥湾の最奥部にあたります。
「浜町の常夜燈… 続きを読む
青森県上北郡 野辺地戦争関連史跡
盛岡藩領内に侵攻した弘前藩・黒石藩兵は、
馬門村に進入すると次々に放火を開始。
民家64戸と遍照寺が焼失してしまいます。
この馬門にあった番所も焼失しており、
虚を突かれた役人及び守備兵は、
野辺地方面に逃走しました。
「馬門御番所跡」。… 続きを読む