山口県山陽小野田市 厚狭宿跡

厚狭宿西国街道の宿場で、
船木宿吉田宿の間にありました。


御国廻御行程記 厚狭」。
厚狭川の東側に市が開かれ、
宿場としても賑わっていたようです。


JR厚狭駅東側周辺。緑の線が街道筋。
青でぼかした辺りが厚狭宿跡。


寝太郎之像」。
厚狭といえば厚狭の寝太郎の昔話が有名。
庄屋の息子太郎は仕事もろくに仕事もせず、
寝続けて寝太郎とあだ名されていましたが、
3年3ヶ月寝続けた後に突然起きて、
父に千石船と船一杯の草履を作るよう頼む。
やがて千石船と草履が出来上がると、
太郎は船員を雇って海にこぎ出し、
数十日すると戻って来ます。
太郎は佐渡島まで航海したようで、
佐渡金山で働く者の草履を無料で交換し、
ボロボロの草履を積んで帰ってくると、
大きな桶を用意させて人夫に洗わせました。
すると洗った水から大量の砂金が現れ、
その砂金を元手に灌漑水路を整備し、
田を開墾して村の百姓に分け与えたという。

現在も寝太郎が整備した寝太郎堰が、
厚狭川の上流に残されており、
寝太郎は厚狭地区の英雄として称えられ、
駅前に立派な銅像が建てられている他、
寝太郎荒神社も建立されています。


鴨橋」。
旧街道沿いの厚狭川に架けられた橋。
江戸時代板橋が8月~1月まで架けられ、
2月~7月は川の水量が多くなる為、
橋は撤去されて渡し船が出ていたようです。
明治4年になって常設の木製橋が架けられ、
近くに鴨神社がある事から鴨橋と命名。
洪水で2度程流された後、
昭和2年にコンクリート製に架け替えられ、
平成26年に再度架け替え工事が行われて、
現在の新しい橋になりました。


鴨橋親柱」。
明治4年 に架けられた当時の親柱。
地中に埋められていたものが、
河岸工事で発見されたとの事。


厚狭宿跡」。
鴨橋の東側が厚狭宿のあった場所で、
街道沿いには古い家屋が残っており、
宿場町の雰囲気が感じられました。
訪問後に知ったのですが、
豊臣秀吉が宿泊したとされる枝村家住宅は、
県道225号線の厚狭川沿いに移築され、
保存されていようです。

厚狭宿は上記したように半宿で、
旅人宿はあったが大名の宿泊施設はなく、
参勤交代時の大名の休憩施設としては、
大福寺祐念寺、枝村家が利用されました。

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