北浦道筋の始点から最初の馬継は、
福江にある八貫堤の辺りだったという。
下関市福江八貫堤周辺。緑の線が北浦道筋。
青い線は横野、安岡方面への旧道筋。
赤丸辺りに馬継所があったようです。
左の赤い線は国道191号線、
右の黄色い線は県道244号線。
共に当時はありませんでした。
※県道244は北浦道筋と合流します。
「北浦道筋」と「八貫堤」。
目印となる堤のみが面影を残し、
馬継があった事がわかる遺構は皆無。
長府藩の殿様が川棚に湯治に出掛ける際、
馬を取り換える馬継所だったようで、
藩主が休憩する御茶屋もありました。
他にも旅人が利用する店もあったという。
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