萬福寺は平安時代の創建とされており、
安福寺と称した天台宗の寺院でしたが、
鎌倉時代に廃れていたものを、
遊行上人4世呑海が再興して道場としました。
その後に領主益田兼見が現在地に移築し、
萬福寺と改称しています。
※墓地には兼見の墓もあります。
「山門」。
朱色の立派な山門。
建立年不明のようですが古いものです。
「本堂」。
国指定重要文化財の本堂。
室町時代前期に建立されたもので、
桁行七間、梁間七間、寄棟造、桟瓦葺き。
益田戦争では浜田藩軍の本営となっており、
境内で戦闘が行われています。
長州藩軍の挟撃を受けて浜田藩兵は混乱し、
大将の山本半弥はこの本堂で自刃。
幕府目付三枝刑部や剣豪永井金三郎も討死し、
益田戦争は長州藩軍の勝利に終わりました。
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