高麗橋は大坂城西側の東横堀川に架かり、
上方の多くの街道の起点となっていた橋。
橋名は朝鮮通使迎賓に関連するようですが、
詳細には諸説あるようです。
上記のように多くの街道の起点であった為、
江戸日本橋と同様な役割を持っていた様で、
高麗橋周辺は豪商の店舗が並んでいました。
中央区北側中央付近。緑の線が京街道、
オレンジ線が亀岡街道、
紫の線は浜(中国)街道、青い線は紀州街道。
西詰に三階櫓のある矢倉屋敷が建てられ、
浪速市中の一奇物と称されていました。
「浪花百景之内 高麗橋」。
橋の向こう側の両端に三階櫓が聳えます。
北側(右)は呉服商蛭子屋八郎左衛門の店で、
南側(左)は鏡や煙管の平野屋七郎兵衛の店。
他に呉服商の三井越後屋や岩城升屋、
菓子店の虎屋伊織、団扇の玉露堂など、
多くの商店が軒を連ねていました。
現在の高麗橋(wikipediaの画像を転用)。
日本橋と同じく頭上は高速道路です。
橋は昭和4年にRC製で架け替えられ、
それ以前は明治3年の鉄製の橋。
江戸時代は勿論木製の橋でした。
文久3年に上記した呉服商の岩城升屋に、
不逞浪士数名が押し入る事件が発生します。
金策を目的とした強談であったようで、
知らせを聞いた新選組副長山南敬助は、
部下2名と共に岩城升屋に急行。
斬り合いの末に浪士討ち取りに成功し、
山南は愛刀を折って左腕を負傷しましたが、
松平容保より恩賞8両を下賜されました。
※一説にはこの時の傷で第一線を退き、
最終的に立場を失って脱走に至ったとも。
この岩城升屋は高麗橋1丁目6辺りで、
その西側の1丁目7の辺りが三井越後屋。
向いの三井住友銀行大阪中央支店は、
三井の両替店があった場所とのこと。
■京街道の宿場町
■紀州街道の宿場町
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