大分県杵築市 立石宿跡

立石宿日向街道の宿場で、
立石木下家の陣屋町でもありました。
日出藩初代藩主木下延俊は、
臨終の際に三男木下俊治に家督を継がせ、
四男木下延由に1万石の分知するよう遺言。
この遺命に従って俊治は弟延由に、
立石周辺5千石を内部分地しています。
これはあくまで内部分地であった為、
日出藩木下家の家臣の立場でしたが、
後に幕府が延由に朱印状を発行。
立石木下家は日出藩から独立し、
別家の旗本交代寄合となりました。
※ちなみに初代領主木下延由は、
 豊臣秀頼の遺児国松丸ではないかとされ、
 この説を唱える郷土史家も多いとか。
 これはロマンのお話ですね。



JR立石駅周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが立石宿跡。


立石宿跡(西側)」。
古い商家が残る街道筋。
写真左は著述家伊東茂右衛門の旧居。
伊東は明治10年(1877)に上京し、
福澤諭吉の書生となっていたという。
漢籍洋書が読めて数理も得意で、
和歌絵画俳諧等諸芸に通じ、
経済学に秀でて数万円の富を築きました。
福沢が創刊した時事新報の編集長を務め、
経済学関連の著書を多く出しています。


宿場中央は虎口となっています。
ここから線路を渡って東側へ。


立石宿跡(東側)」。
道の南側(写真右)には旧家が点在しますが、
駅があるせいか北側は残っていません。

立石宿に関しては情報や逸話があまりなく、
なんら書く事も出来ないのですが、
歩いてみると栄えていたことが伺えます。
峠もあったので素通り出来ないでしょうし、
往時は旅人で賑わっていた事でしょう。

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