高杉晋作ウォーク/長府コース②

高杉晋作ウォーク(長府)のつづき。
/②

功山寺入り口より。

尊攘堂」と書かれた石標。
先の大戦後、
進駐軍に遠慮して、
※下関はニュージーランド軍。
裏返しにしていたんだそうです。
面白い話ですよね。
たぶんニュージーランド人は、
読めないと思います。


新しくなった「山門」をくぐります。


国宝の「仏殿」。
山口県には国宝建築物が3つあり、
瑠璃光寺の五重塔以外の2つは、
下関にあります(もう1つは住吉神社本殿)。
国宝って世界遺産より価値があると、
僕は思っています。
前々から胡散臭いと思っていたのですが、
南京事件が世界記憶遺産になったとか・・。
そのニュースにほらねって思いましたね。


先ほどの石標の「尊攘堂」はこれ。
吉田松陰は京都に尊攘堂を建てて、
勤王の志士を祀り、
人々を奮い立たせようとしていたが、
刑死により果たせず、
入江九一にその志を託しました。
しかし入江も禁門の変で戦死した為、
結局はその志は果たされなかった。
後に品川弥二郎がこれを偶然知り、
京都に尊攘堂を建造。
勤王志士の霊を祀り、
志士の殉難の史料、遺墨、遺品を収集し、
一般参拝、収蔵品の観覧をさせます。

品川は長門国にも尊攘堂を建設をしたいと、
親交のある桂弥一に相談。
桂はその考えに賛同して、
尊攘堂万骨塔を建設しました。


万骨塔」。
尊攘堂と共に桂弥一が建設した慰霊塔で、
全国の霊石が集められ、
尊王佐幕関係なく奉られています。


三吉慎蔵の墓」。
坂本龍馬の命の恩人で、
槍の名手として知られます。
この功山寺に墓所かあるのは、
14代藩主毛利元敏に信頼を受け、
死後も近くに居るようにと、
功山寺に墓所を与えられたそうです。


お次は功山寺の庫裡へ。
拝観料を惜しんで行った事が無いのですが、
今回は団体割引。楽しみです。


法堂」。
五卿が功山寺に来た際、
もちろん従者も沢山いました。
突然の訪問に功山寺側も準備ができません。
五卿達の布団や食事はどうにか用意できて、
書院に案内しましたが、
従者達は布団も食べ物も無い状態。
仏壇の供物を皆で取り合い、
当時は畳ではなく板敷だったので、
男同士抱き合い眠りについたそうです。
枕がないので仏様を枕にしたとか、
バチ当たりな話も残されているようです。
この法堂には山岡鉄舟の書もありました。


七卿潜居の間」。
実際は二卿が脱落していますので、
五卿がここに潜居しています。
有名な高杉挙兵のお話を聞きました。


高杉晋作回天義挙像」。
平松さんは数ある晋作像の中で、
一番すばらしいと話されていましたが、
全く同感です!
躍動感がありながら威厳がある。
僕が知ってる馬上像の中でも一番です。

この後、覚苑寺に向かいましたが、
覚苑寺はつい最近行ったばかりなので、
割愛させていただきます。
※記事はこちら
ここではマッカーサーの乃木評など、
台座裏に書かれた碑文の話が聞けました。

スタート地点あたりに戻ります。

最後は「三吉慎蔵旧宅跡」。
龍馬とお龍も一時滞在しています。

今回も面白い話が沢山聞けました。
毎回参加者が多くなっているようで、
今回も沢山の人数で周りました。
次も是非とも参加したいと思います。
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