境川は肥後国と薩摩国の国境の小川。
石造アーチ橋が架けられていますが、
藩政時代には橋は無く、
飛び石伝いに川を渡っていたという。
「境橋」。
明治16年に架けられた石橋。
肥後の石工によるもので、
その卓越した技術を伝えています。
草が生い茂っていますが、
横から見ると立派なアーチ橋。
頼山陽はこの境川を越える際、
一潤平分南北州 細沙幽草両辺秋
曽無所属唯渓水 幾股渥渥随意流
訳:一つの小川が南北の州を分け
細砂と雑草が茂り双方に秋が訪れる
どちらにも属さないのはこの小川だけ
幾筋かさらさらと勝手に流れている
という詩を作っています。
また高山彦九郎は、
ここ迄も送る心や玉鉾の道を
守りの人をしそ思う
と詠んでいます。
「笹原の茶屋跡」。
少し南側に歩くとある標柱。
ここに茶屋があったようで、
島津斉彬も休憩したとのこと。
笹が生い茂っていますが、
往時も笹が生えていたのでしょう。
■関連記事■
・鹿児島県出水市 野間の関跡
厳重だったという野間の関所跡。
・鹿児島県出水市 米ノ津宿跡
関所に程近い宿場跡。