徳川宗家の駿府移封に伴う各藩の転封

鳥羽伏見の戦い旧幕府軍が敗れた後、
徳川宗家15代徳川慶喜は朝敵となり、
水戸で謹慎処分となっています。
慶喜は養子徳川家達に家督を譲って隠居し、
新政府は徳川宗家の存続を決定。
駿河国及び遠江国70万石を、
家達に相続させる事となりました。
しかし同地には7つの藩があった為、
徳川宗家入封に伴いこれらの藩は、
上総国安房国への転封が決定。
更に同地に飛地を持っていた藩にも、
領地替えが行われています。

静岡千葉について当ブログは非常に弱く、
少し纏めておかないと間違えそうなので、
今回は転封された7つの藩について、
簡単に纏めておこうと思います。

以下、駿府藩成立により転封された藩。
駿河国
沼津藩水野家(5万石)
沼津藩水野家は水野忠清を初代とし、
小幡藩刈谷藩三河吉田藩
そして松本藩と代わっていますが、
6代水野忠恒が乱心で改易。
忠恒の叔父7代水野忠穀が再興しており、
8代水野忠友が大名へと返り咲き、
以後は沼津藩として続きました。
徳川宗家移封に伴い駿河内の領地を、
上総国市原郡内に移されて、
市原郡菊間村に藩庁を設置してます。
沼津藩→菊間藩

田中藩本多家(4万石)
本多正信の弟本多正重の系譜で、
舟戸藩1万石を領していましたが、
2代本多正貫が所領を8000に削減。
後に4代本多正永の代で大名に返り咲き、
沼田藩を経て田中藩に転封しました。
徳川宗家移封に伴い駿河内の領地を、
安房国三郡及び上総国天羽郡に移されて、
安房国朝夷郡長浜に藩庁を建設しますが、
台風の影響で建設中の陣屋が倒壊。
北条村の陣屋を改築して鶴ヶ谷陣屋とし、
廃藩まで政庁としています。
陣屋は変更されたものの長尾藩のまま、
廃藩置県を迎えました。
田中藩→長尾藩

小島藩滝脇松平家(1万石)
徳川綱吉の側近松平信孝が大名となり、
幕末まで転封もなく治めた藩。
徳川宗家移封に伴い上総国周准郡に移され、
南子安村金ヶ崎に陣屋を設置しました。
しかし交通の便が悪かった為、
改易となった請西藩貝淵陣屋に移転し、
そのまま櫻井陣屋と改称。
櫻井藩として廃藩置県を迎えています。
小島藩→金ヶ崎藩櫻井藩

遠江國
浜松藩井上家(6万石)
徳川秀忠に近習した井上正就が、
1万石に加増されて大名となった系譜。
横須賀藩丹波亀山藩下館藩笠間藩
磐城平藩を経て浜松藩主となっています。
徳川宗家移封では上総国三郡に移され、
市原郡内田郷の荒蕪地に陣屋を建造。
地名を鶴舞と改称し鶴舞藩となりました。
浜松藩→鶴舞藩

相良藩田沼家(1万石)
老中田沼意次を初代とする相良田沼家。
意次は老中となって幕政で権勢を振るい、
旗本600石から相良藩5万7000石まで加増。
しかし晩年は2度の減封で1万石となり、
陸奥下村藩で5代続いた後に、
6代当主田沼意正が旧領に返り咲きました。
しかし8代当主田沼意尊の代に、
徳川宗家移封で上総国小久保に移されて、
藩庁として小久保陣屋が建造されています。
相良藩→小久保藩

横須賀藩西尾家(3万5000石)
横須賀藩西尾家は西尾吉次を初代とします。
吉次は織田信長の家臣でしたが、
徳川家康接待役等を務めており、
家康の伊賀越えにも同行しました。
原市藩白井藩土浦藩、田中藩、
小諸藩と代わって横須賀藩に入封。
8代続いて明治維新となり、
安房国及び上総国内に所領を移され、
安房国長狭郡花房村に陣屋を建設しました。
横須賀藩→花房藩

掛川藩太田家(5万石)
太田道灌の末裔太田資宗の系譜。
山川藩、西尾藩、浜松藩を経て、
掛川藩に入封して7代続いています。
徳川宗家移封で上総国夷隅郡に移され、
山林原野を開拓して松尾城を築城しますが、
完成同年に廃藩置県となりました。
掛川藩→松尾藩

転封された7つの藩は全て譜代大名。
土着の領地ではありませんので、
それ程抵抗はなかったようです。
勿論代わって入封するのが徳川宗家なので、
文句も言えなかったというのもあるでしょう。

■関連記事■
徳川十六神将末裔の幕末①
 徳川十六神将の系譜は何藩?
東京都台東区 谷中霊園/徳川慶喜墓所
 最期の将軍徳川慶喜の墓所。
東京都港区 増上寺/徳川将軍家墓所①
 徳川宗家の墓所のひとつ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です