宮崎県宮崎市 大光寺/佐土原藩島津家墓所

大光寺は佐土原町にある臨済宗寺院。
建武2年(1335)に伊東氏の一族伊東祐聡が、
岳翁長甫を開山に迎えて創建した寺で、
田島伊東家の菩提となっていました。


自国宝殿」。
室町期建築の自国宝殿
文殊堂とも呼ばれる仏殿で、
壇上に木造岳翁長甫像を安置しており、
国指定重文
定期的な坐禅会が行われてるとのこと。
右側に古月禅師分骨塔もあります。
※東の白隠、西の古月と称された高僧


本堂」。
自国宝殿の後方に本堂があります。
本尊の十一面観世音菩薩像の他、
重文の木造騎獅文殊菩薩及脇侍像が安置。
大光寺は佐土原が島津家領となると、
寺領75石を寄進されました。
後に5代藩主島津惟久が古月禅師を招き、
大光寺の中興としています。

本堂前に藩主らの墓碑が並びます。
事前に調べた場所ではないようなので、
近年に移動された模様。

善性院進山恕精居士(左)」、
仁壽院殿忍斉慈照大居士(中央)」、
自得寺殿史龍淵道水大居士(右)」。
2代藩主島津忠興の次男島津久富の墓、
5代藩主島津惟久の墓、
6代藩主島津忠雅の墓。
後ろの位牌型の墓碑はそれぞれの奥方
久富は2代忠興の次男で、
5代惟久が幼少であった為に、
一時藩主を務めた島津久寿の実父。
※久寿は代数に数えられていません。
惟久は4代島津忠高の長男でしたが、
父忠高は惟久が2歳の時に死去。
上記のように叔父久寿が藩主を務め、
成人した後に家督を譲られました。
※久寿は3000石を分与されており、
 旗本島之内島津家を興しています。

藩主となった惟久は家臣間対立を解消させ、
財政再建の為に家臣の知行調整を行い、
領内の整備に力を注いでいます。
6代忠雄は惟久の三男(嫡男)に生まれ、
惟久の隠居に伴い家督を相続。
財政難に父と同じく知行調整を行い、
30年の治世の後に隠居しました。

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