長年寺の隣の恩徳寺にも、
戊辰之役戦死者の墓があります。
恩徳寺は源義経の出陣に伴い、
平泉から馳せ参じた花輪次郎行房が、
源平合戦の屋島の戦いで討死した為、
戦場にあった阿弥陀三尊像を持ち帰り、
従者達が建立した恩徳庵がその前身。
その後の寛永2年(1625)に、
二世庵主であった一眼淳亀大和尚が、
長福寺三世龍印本鷟大和尚を勧請し、
恩徳寺を開山しました。
開基は中山的公大禅定門とのことですが、
よくわからないようです。
「本堂」。
こちらの本堂も立派。
持ち帰られた阿弥陀三尊像は、
中央の阿弥陀如来像の両脇に、
観音菩薩像、勢至菩薩像が従う形で、
行基によって彫られたとされるもの。
かつて讃岐国の道場寺にあったという。
現在は古本尊として保存されています
戊辰之役戦死者の墓は墓地の南側。
「戊辰之役戦死者之墓」。
盛岡藩戦死者16名の墓所。
被葬者は以下のとおり。
青山屋巳代助、米白屋由蔵、
澤口定之助喜纓、多田善次郎知値、
澤口惣八方義、荒川定八正康、
浅沼與惣吉忠明、中野繁平正忠、
附田金左衛門休進、佐藤熊之助義清、
千葉万次郎景成、久慈宮蔵親宗、
高久春治誠道、竹林由太郎綱之、
箱石千次郎義隆、小泉脇右衛門清寧。
こちらも大館周辺の戦いにおいて、
戦死及び戦病死した盛岡藩兵の墓です。
■関連記事■
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盛岡藩に占領された久保田藩の支城。
・秋田県鹿角市 長年寺/戊辰之役戦死者之墓
同じく戊辰之役戦死者の墓があります。