智積養水は昭和の名水百選。
智積村は昔から旱損所と云われ、
水不足の深刻な場所でした。
北側を流れる金渓川も水量は少なく、
灌漑用水に使用は出来なかった為、
水が豊富に湧き出る森村から、
桜一色村を経て智積村まで、
豊富な水を送る事となります。
そうして水源の蟹池から、
用水路を通す事となりましたが、
その間には金渓川が流れており、
そのまま水路を通す事は出来ません。
そこで川底に樋管を埋設して、
川の下に用水を通す事に成功。
※三十三間筒。
智積町までの1.8kmの用水が完成し、
人々の暮らしを支えるに至りました。
「智積養水」。
西勝寺前を流れる智積養水。
残念ながら訪問時は雨でした。
絶えず清水が流れる用水路を、
人々は感謝の気持ちから[用水]ではなく、
[養水]と呼ぶようになったとのこと。
しかし先の大戦後に汚染が進んだ為、
住民が浄化運動を行ったようで、
鯉の住める川にする為に、
錦鯉が放流されたようです。
その甲斐あって水質は改善され、
本来の清水が流れるようになりました。
智積養水の正確な起源は不明ですが、
鎌倉~室町時代には既にあったとされます。
江戸期には森村は菰野藩領、
桜一色村は津藩領、智積村は幕府領と、
複雑な土地柄であった為に、
江戸時代には不可能は工事であったとか。
とはいえ正徳元年(1711)には、
四日市代官の石原清左衛門正利により、
三十三間筒が石樋に取替えられています。
※それまでは木樋だったとも。
「蟹池」。
蟹の様に年中泡を吹くように、
水が湧き出て来る様子に加え、
川蟹が多くいた為に蟹池と呼ばれた湧水。
智積養水の水源地です。
縦5m、横7mの小さな池で、
この頃には雨も止んでいた為、
非常に澄んだ水が確認出来ました。
水面は非常に穏やかながら、
流れ出る水の量はかなりのものです。
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