高杉晋作の命日に執り行われる供養祭「東行忌」。
毎年4月14日に行われていますが、
土日に行われるわけではないので、
「東行忌」に行ったことがありませんでした。
しかも今年は没後150年記念ということで、
特別に京都嶋原から葵太夫が奉納舞踊を披露するとの事。
これはどうにかして行きたいなと思っていたら、
会社で休日出勤することがあり、
振替休日が取れる事に・・奇跡だ・・。
・・というわけで、行ってきました。
当然ですが高杉晋作の墓前で行われます。
そんなに広いスペースがあるわけではありません。
当然、前面は来賓席でした。
墓前での法要の前に、高杉晋作陶像の下に新しい碑が建つので、
その除幕式が行われています。
墓前祭で良い席をとるため、今回はそこに行くのを断念し、
身重の嫁さんと幼子がいますので、早々と一般席をゲット。
で、墓の裏のこの位置。ここなら墓前の人が良く見えるでしょう。
あとはみよちゃんがグズらない事を祈るだけ・・・。
※結局グズりました。うるさくてスイマセンでしたm(_ _)m
まずは稚児舞(散華の舞)。
地元の幼稚園児が舞を披露します。
慰霊の辞を下関市長が読みます。
で、東行庵松野實應庵主による読経。
続いて、高杉家5代目当主高杉力氏を先頭とした来賓の焼香。
その後、祝電披露のあと奉納行事。
「明暗尺八無常会」の尺八演奏。
「清水流東行庵吟詠会」の吟詠。
最期に京都嶋原の「葵太夫」による演舞です。灯篭が邪魔だ・・。
「死後に墓前にて芸妓御集、三弦なと御鳴し、御祭被下候様奉頼候、
別紙、詩作御覧奉頼候、拝白 伝七様 梅之助
表
故奇兵隊開闢総督高杉晋作則
西海一狂生東生墓
遊撃将軍谷梅之助也
裏
毛利家恩古臣高杉某嫡子也
月 日
売国囚君無不至 捨生取義是斯辰
天祥高節成功略 欲学二人作一人」
と元治元年、大庭伝七宛ての書簡に遺言が書かれている事から、
150周忌を記念して、墓前での太夫の舞が企画されたようです。
これ、毎年続けるべきだと思います。遺言なんですから。
葵太夫と東行墓のツーショット。
墓前祭の後の撮影会です。
さて、先ほど行けなかった序幕式を終えた記念碑へ。
遺言にあった墓碑銘を、
150回忌を記念して「墓誌碑」という形で建立。
出来れは墓の隣に建てればいいのにと思ったのですが、
墓は史跡なので隣は無理だったのでしょうか?
でもまあ、ここでも十分遺言を果たせたことになるでしょう。
裏もばっちりです。
没後150年という節目にふさわしい墓前祭でした。
※例年の事は知りませんが・・。
ここに至るまで色々とあった事でしょうが、
やはり東行庵というのは、高杉晋作を祀る聖地なわけで、
これからも沢山の人々が支えていく事でしょう。
■関連記事■
・東行百四十七回忌
終焉の地での 碑前祭。
・下関市吉田 山縣狂介(有朋)像
新しく山縣の像も建立されています。
・4月14日 東行庵
気持ちが重要だと思います。
東行150回忌、私もお参りしましたよ。
晋作がおうのと逃避行した讃岐から行きました。
終了後、萩往還「六軒茶屋跡」を見学して帰りました。
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書き込みありがとうございます。
讃岐といえば香川ですか!丸亀や高松など仕事でちょこっとだけ行った事がありますが、日柳燕石等の関連史跡を巡る事が出来す(仕事だったんで・・)、またいつか行ってみたいなと思っています(その時はもちろんブログに書きます)。
六軒茶屋跡・・山口市まで行かれたんですね。ということは車で来られたんですね。お疲れ様でした。
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