文久の修陵①

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歴史が好きと言っても色々です。
歴史全般に興味あるとか、
日本史が好きとか、世界史か好きとか、
戦国時代限定とか、源平限定とか、
平安時代限定とか、南北朝限定とか、
そんな中で僕は幕末維新限定です。
ここにご訪問頂いている方々と同様に。

知人には歴史好きと認識されていますが、
他の時代の話などを振られても、
一般知識程度の事しか知らなかったり、
話自体に興味なかったりするのです。

下関は壇ノ浦の戦いの舞台でもありますし、
巌流島の決闘の舞台でもあります。
また戦前には下関要塞が造られており、
戦争遺跡も豊富な場所でもありますので、
下関は歴史の町にふさわしいのですが、
幕末に関係する事以外そんなに詳しくない。
上記の時代に詳しくないのだから、
もっと前の古代史なんて別世界・・。
務めてる会社のすぐ近くにも、
まあまあの前方後円墳がありますし、
足を伸ばせば土井ヶ浜遺跡もあります。
日帰りで行ける範囲ならば、
佐賀の吉野ヶ里遺跡なんてものある。
とはいえ古墳には興味無いので、
それ程は詳しくはありません。

しかし幕末に関わる重要な話があって、
少々古墳について調べました。
それが「文久の修陵」。
現在まで125代続いている天皇制なので、
単純に124基のお墓がある訳です。
今はその殆どが特定されている訳ですが、
江戸時代以前には荒れ果てていたり、
どこにあるかわからなかったりでした。
戦乱の世でそれどころではないし・・。
それが江戸時代に入って平和になると、
学者なんかが調査したりする。
尊皇思想もそれに関わってきますしね。
例えば本居宣長蒲生君平らが調査し、
徳川光圀も陵墓の修理を願い出ており、
幕府も何度か修復工事をやったりしてます。

文久の修陵」はその中のひとつで、
宇都宮藩の建白により幕府が許可します。
坂下門外の変に藩士が関係した為、
宇都宮藩は幕府に睨まれている状況。
山稜修復というウケの良い建白が、
藩にとって最良の策だったのでしょう。
これは藩士県勇記の発案とされています。


神武天皇御陵真影(一部)」。

そして文久3年2月、
神武天皇陵の修復工事が開始されました。
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■関連記事■
栃木県宇都宮市 宇都宮城
 宇都宮藩戸田家の居城。
下関市豊田町 安徳天皇西市御陵墓参考地
 参考地は全国に沢山あるらしい。
京都府京都市 伏見桃山陵
 明治天皇の御陵。

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