長崎県長崎市 後藤象二郎邸跡/小曽根邸跡/海軍伝習所跡

五島列島福江島に出張。
下関から長崎まで電車を乗り継ぎ、
長崎から高速船を使って福江島に行きます。
途中、長崎駅から港に行くまでにある史跡を、
少し時間の余裕があったので寄ってみました。


現在、テレビ長崎のビルのある場所が、
後藤象二郎の旧邸跡らしい。


後藤象二郎邸跡」。
テレビ長崎ビルの脇に石碑があります。
説明板も建てられているのですが、いつ頃居たのか、
前は何だったのかさっぱりわかりませんが、
とにかくここに住んでいたようです。
長崎に邸宅があるってどういう事だろう?
たとえは寺田屋に龍馬が滞在していたって、
寺田屋を坂本龍馬邸とはいいませんよね。
後藤象二郎邸って事は、後藤の持ち家だったって事。
土佐商会の為にわざわざ買ったのかなぁ?
後藤については詳しく無いので、ちょっとわかりませんが、
機会があったら調べてみます。

少し歩いて長崎地方法務局
ここは質商小曽根家の邸宅があった場所です。

勝海舟 坂本龍馬故縁の地 小曽根邸の跡」。
小曽根家の当主小曽根乾堂は書家・文人・篆刻家としても有名で、
御璽国璽を明治政府の依頼で作成した事で知られます。

維新後、小曽根家が貿易業に乗り出し、
埋め立てが行われた沿岸地域に本拠を移した後も、
ここで本業の質商を末弟の小曽根英四郎が営んでいます。
英四郎は龍馬を支援し、亀山社中の運営に尽力しました。
ちょうど奇兵隊に対する白石正一郎のような感覚でしょうか?


お龍さんと月琴」の像。
長崎地方法務局敷地内にお龍の像があります。
お龍は8ヶ月間長崎に滞在しますが、
小曽根乾堂の妻や娘に月琴を習ったという。

さらに歩いて長崎県庁へ。
ここは長崎奉行所の西役所があった場所で、
海軍伝習所が置かれました。

県庁敷地内に碑があり、
イエズス会本部 奉行所西役所 海軍伝習所 跡
と、刻まれています。
ポルトガル人が初めて来日した際、
ここに教会を建てて布教の本部としたようです。
もちろんキリスト教が禁止される前の話。
その後、出島と西役所が作られました。


長崎海軍伝習所絵図」。
当時の海軍伝習所の様子。右上が出島ですね。

と、周ったところでそろそろ高速船の時間が来ました。
出島は前回行ったので(記事はこちら)今回はここまで。
フェリーに乗って福江島に向かいます。

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