水天宮の北側にあたる長門石橋の西詰に、
眞木家の家廟があります。
同家は代々水天宮の宮司を務めた家系で、
初代は平知盛の孫平右忠とされており、
16代忠左衛門重臣の頃に眞木姓に改称。
眞木和泉保臣は水天宮22代宮司でした。
「眞木家家廟」。
長門石橋の袂にある眞木家家廟。
中身がどうなっているのか不明ですが、
歴代の遺骨や墓石が納められている??
とにかくこれが眞木家の家廟とのこと。
廟内の様子は不明ではありますが、
階段両脇に墓石が置かれています。
「眞木忠臣之墓」。
眞木和泉保臣の次男眞木主馬忠臣の墓。
保臣は四男一女を儲けていますが、
長男、三男は早逝しており、
四男眞木菊四郎は保臣と共に国事に奔走。
※後に下関で暗殺されています。
次男忠臣が家督を継いで23代宮司となり、
以降は24代勤四郎、25代長時、26代保考、
27代保典、28代大樹と続き、
現在は29代眞木啓樹氏が宮司となっています。
「睦子粟生氏之墓」。
保臣の妻睦子の墓。
睦子は浪人石原与左衛門の娘で、
久留米藩士粟生一左衛門の養女となり、
28歳で保臣と結婚しています。
保臣は当時19歳だったようで、
9歳も年上の姉さん女房でした。
■関連記事■
・福岡県久留米市 水天宮
眞木家が宮司を務めた水天宮。
・福岡県久留米市 千榮寺/真木施臣墓所
眞木和泉の父眞木施臣の墓所。
・福岡県久留米市 山川招魂社
真木和泉の招魂墓があります。