浜田城自焼後の浜田藩②

つづき。
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7月19日。
長州藩軍が総軍浜田城下に入る。
浜田藩退去に伴い貧困層の略奪が発生し、
城下は混乱を極めます。

7月20日。
隣接する大森銀山(石見銀山)では、
代官鍋田三郎衛門倉敷(幕領)へ逃亡し、
周辺の政治権力が空白化。
米の買い占めによる物価高騰がおこり、
石見地方では一揆が多発しました。


石見国の一揆状況。

長州軍は大森銀山に出張。
大村益次郎が一揆の鎮静を図ります。
一揆の原因である米問題に着手し、
商人達に百文につき米2合5勺を沙汰し、
代官所が残した備蓄米を村々に分配。
容易に鎮静しない一揆には武力を用い、
一揆の基本方針として、
願いがあれば穏便に嘆願し、
徒党を組むようであれば兵馬を差し向ける

としています。

米価に関しては価格を定めたところ、
品不足になってしまい沙汰を取り止められ、
商人達に実直な売買をするように指示。
年貢は従来と同様を基本とするが、
従来が過酷であるなら改善するとします。
このように浜田藩の消えた浜田藩領では、
長州藩の占領政策が行われました。

次回は城を追われた浜田藩兵の動きについて。

つづく。

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