津和野川の上流にある山下村に、
藩校養老館の初代国学教授で、
神道家の岡熊臣の旧宅があります。
電柱以外は江戸時代と同じであろう風景。
中央の建物が岡熊臣の旧宅です。
富長山八幡宮の神官岡忠英の子に生まれ、
幼少時より学問を好んで書物を読み漁り、
本居宣長を知って国学に傾向したようです。
江戸で宣長の門人村田春門に国学を学び、
帰郷して日本書紀私伝、
三大考追考などを著しました。
「岡熊臣私塾桜蔭館」碑。
岡は自宅で私塾を開いていたようで、
主に国学を教えています。
この私塾が藩の国学隆盛の礎となりました。
「岡熊臣旧宅」。
宮大工が建てられたもののようですが、
素人目では普通の農家のように見えます。
神職を継ぎながらここで国学を教授し、
国学や和歌の研究や柿本人麿の伝記、
兵書の著作を行いました。
11代藩主亀井茲監の藩校拡張の際、
国学教授として迎えられた岡は、
藩校の学則制定にも参加したようで、
儒学も教科に含まれる中で、
国学を基本方針として掲げています。
既に老齢となっていた岡は、
嘉永4年に死去していますが、
養老館の国学は大国隆正らが受け継ぎ、
国学が津和野藩の精神的支柱になり、
多くの人材を輩出する結果となりました。
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